日体大OB・田中将吾さん「楽しく強く未来へ」、鈴鹿高校の指導2年目で都大路初出場
今回の「M高史の陸上まるかじり」は鈴鹿高校陸上競技部で顧問をされている田中将吾さんのお話です。日本体育大学では箱根駅伝のエントリーメンバー入り。中学校の教員を経て、一昨年から鈴鹿高校の教員に。鈴鹿高校は昨年、全国高校駅伝に初出場しました。昨年のU20日本選手権800mでは松本未空選手が優勝を飾っています。
「良き競技者である前に、良き高校生であれ」を胸に
三重県出身の田中将吾さん。「走るのは好きで、物心がついたときには走っていました。父が日体大で箱根駅伝に2回出場し、1度は優勝メンバーにもなっています。父親も体育教師をしていましたので、父の背中を見ていて、私も教師になるんだなというイメージを持っていました。漠然と『関東の大学へ行って箱根を目指して、そのあと体育教師になるんだ』と思っていましたね」。父の姿を見て育ったという田中さんですが、日体大からの教員という道まで同じとは!
「中学では父親が教員をしていて陸上部の顧問でした。その陸上部で私が主将だったのですが、いざ自分が教師の立場に立つと(父は)やりにくかったんじゃないかと思います(笑)」
高校は上野工業へ。「中学よりも練習が増えましたね。朝は補強器具を使ったトレーニングくらいで、放課後が本練習でした。当時の三重県は上野工業高校、稲生高校、四日市工業高校が強く、3強と呼ばれてトラック、駅伝でしのぎを削っていました。私が1年生の時が稲生高校、2年生の時が上野工業高校、3年生の時が四日市工業高校と毎年、(三重県高校駅伝の男子は)優勝校が変わっていました。そのあとは上野工業高校がずっと連覇していました」
3年生の時に新入生として、駒澤大学で主将を務めた高林祐介さんが入学してきました。「とんでもない後輩が来たなという感じでした。長身でダイナミック。スピードもあるので、一緒に流しをやりたくないくらいでした(笑)」。その高林さんは1年生からインターハイの800mで入賞を果たします。
「恩師の町野英二先生から『良き競技者である前に、良き高校生であれ』という言葉をいただいて、指導者になってからずっと、今までの生徒たちにも伝えさせてもらっています。あいさつ、礼儀、人間形成を指導してもらっていたので、私が指導者になってからもそういう思いでやってきています」と現在につながる高校時代を過ごされました。
今も大切にしている日本体育大学のつながり
高校卒業後は日本体育大学へ。「寮生活でした。各学年1人ずつの4人部屋で4年間を過ごしました。同級生に北村聡(現・日立女子陸上競技部監督)がいたのですが、2人でカラオケに行くくらい仲が良かったですね(笑)。北村はストイックな部分があって、『すごい選手』というのを身近に感じていました。指導者になった今でも大会で顔を合わせて話をすることも多くて、いずれ北村監督のもとへ教え子が行ってくれたら、それはそれで面白いなと思っています」
現在、洛南高校の監督をされている奥村隆太郎さんは1学年後輩です。「(鈴鹿高校が)都大路初出場の時は大会当日のこと、下見のことなどでアドバイスをもらいました」。卒業してからも日体大のつながりを大切にされています。
大学3年の箱根ではエントリーメンバーに。「2年生から選抜合宿に行かせてもらえていましたが、なかなかもう1歩届きませんでした。小さい頃から箱根駅伝を夢見てやってきたのですが、今思えば箱根に出るのが私の目標でした。普段から箱根を走っているメンバーは『箱根に出てどう走るか』『箱根で区間何位』などもっと先の目標を見据えていたので、そのあたりの差があったのかなと、自分が指導者になって感じています。選手としての実績はないのですが、そういう経験をしているので今の生徒たちには伝えるようにしています。箱根は走れませんでしたが、指導者、仲間、サポートしていただいてる人たちとのつながりを大学4年間でたくさん得られたので、日体大に行って良かったです」と振り返りました。
教え子の松本未空選手がU20日本選手権800mで優勝
大学卒業後は中学校の保健体育教員になりました。「中学の部活は長距離だけでなく、トラックもフィールドも見ていました。体を動かすのが好きなので、もう1回人生があっても同じような道に進むと思います。まぁ競技に関しては、もうちょっと頑張れよと思いますが(笑)。教員はもう1回人生があってもやりたいです。天職だなと思います。子どもたちからいつもパワーをいただいてますね」
鈴鹿市立平田野中学校で教員をして4年目に入学してきたのが現在の教え子である松本未空選手(現・鈴鹿高校3年)でした。「三重県の駅伝で小学校区間の鈴鹿市代表でしたし、松本未空のお兄ちゃんも教え子です。(松本未空選手は)ひと目見た時からダイナミックで力強い走りでした」
中学3年のとき、地元の三重で行われる予定だった全国中学校体育大会で日本一を目指していた松本選手ですが、コロナ禍で中止に。「指導者としても不完全燃焼でした。進路を考えた時に、高校生で日本一を目指して遠目でおめでとうではなく、指導をしたいと思いました。もちろん、私の不完全燃焼だけではエゴになってしまうので、本人の進路選択への思い、保護者の思いを一番に考えて、何回も話を重ねました」
田中さんは鈴鹿高校の採用試験に合格し、松本選手も鈴鹿高校に進学することになりました。松本選手が鈴鹿高校に進学するということで「彼女が行くなら私たちも」ということで松本選手を含めて5人入学しました。「松本は走りだけでなく人間的な魅力もあります」と田中さんは言います。
「ノートも毎日書いてやりとりしています。細かく細かく、練習結果を記録に残したり、動画を撮ったりしています。コロナ禍でなかなか保護者の方に見てもらえなかったので、なんとかご家族にも子どもたちが輝いている姿を見てもらいたいなと、SNSにも投稿しています。また中学生、小学生に向けて高校生が頑張っている姿を発信して、あるがままの鈴鹿高校をわかってもらえたらと思います」。基本的な指導スタイルは変わっていないそうですが、選手とのコミュニケーションをより大切にしています。
鈴鹿高校着任2年目には、U20日本選手権で松本未空選手が800mで優勝を飾りました。また、駅伝でも三重県高校駅伝で初優勝を飾り、全国高校駅伝初出場を決めました。
「私自身、選手として立ったことがない舞台だったので、選手たちのおかげで大きな一歩を踏み出せました。中学教員の時も教え子たちが高校で都大路を走っているのですが、いざ高校の指導者になって監督として都大路の舞台に立てたのはひとしおですね」
陸上競技を楽しく「自分で考えて工夫できる選手に」
「夏まではトラックでスピードをつけることを意識しています。補強や動き作りもしています。専用のグラウンドがないので、河川敷の芝生で練習したり、自転車で20分くらいの公園の芝生でちょっとしたクロカンをやったりしています。トラック練習は自転車で35分くらいかけて移動しています。自転車での移動が多いですが、放課後に自転車をこいでから練習するのでウォーミングアップになりますし、終わってから自転車で帰ってくるので、体も心も鍛えられますね」
実際にM高史も練習に伺いましたが、とにかく元気で明るくて皆さん楽しそう! という印象でした。「補強も『キツい〜』と言いながら、ワイワイ楽しそうにやっています。陸上競技は1人で走ることが多いですが、一緒に励まし合いながらできるのが魅力ですね」と田中さん。
昨年の全国高校駅伝では初出場で43位でした。「全力を尽くしましたが、悔しいですね。楽しいだけではやはり上に行けないのかなと選手も口にしていました。毎日練習を頑張っているので、悔しさを味わえたのも経験です。しっかりと上を目指していきたいです」
上を目指しながらも、田中さんの中で「楽しく強く未来へとつなげる」というぶれない信念があります。
「陸上競技を楽しくというのは伝えていきたいです。やらされている選手よりも自分で考えて工夫できる選手になってほしいですね。長距離なので長く走ると苦しいこともあると思いますが、達成感や喜びは他には変えられないものがあると思うので、そういうところも楽しみながらやっていってほしいですね」
学校近くの河川敷の芝生で選手の動き作りや走りを見つめる田中さん。陸上競技の楽しさを生徒さんたちと感じながら、指導者の道を進んでいます。