青と冬 降格が突きつけた二つの「頑張る」の意味 東京都立大学ラグビー部物語18完
その道は、ビクトリーロードへとつながるはずだった。
いつのまにか降り注いでいた冷たい通り雨も、キックオフ直前になって、どこかへと消え去っていた。
青く高く澄んだ冬の空が、帰ってきた。
12月8日、関東大学ラグビーリーグ戦3、4部入れ替え戦。3部7位の東京都立大学が、4部2位の駒澤大学をホームグラウンドで迎え撃った。
選手入場。その直前、応援に集まったOB、OGたちが、ベンチ前へと駆け寄ってきた。2列になって、即席の、アーチのような「入場ゲート」をつくる。勝利へとつながる道だ。
かけ声とハイタッチで後輩たちを鼓舞し、送り出す、サプライズの演出。選手たち、気持ちが高まらないわけがない、ホームチームを後押しする空気がグラウンドを包み込む。
相手は、のまれていく。
開始早々、スクラムを押し込んで先制トライを奪った。フォワード(FW)を軸に攻勢をかけ続け、19-14でハーフタイム。勢いは衰えない。後半、やはり開始早々、敵陣深くへ。20m近くモールで前進して、フッカー高尾龍太(院2年、高津)が、この日、自身2個目のトライ。
取って取られてが繰り返される。それでもリードは譲らず、迎えた27分のことだった。
勝負の分かれ目
ゴール前の左中間、やや中央寄りで相手が反則。ペナルティーゴール(PG)のチャンスが転がり込んできた。
この時点で26-21。キックを決めて3点を追加すれば、リードは8点に広がる。1トライ1ゴールの7点では追いつけない、セーフティーリードのアドバンテージを手に入れることができる。
蹴るのは、フルバック(FB)大森拓実(2年、日野台)。そこまでゴール3本中2本を、しっかり沈めていた。調子は、悪くない。
水を口に含む、慎重にボールをセット、助走、深呼吸。
右足を振り抜いた。
ボールは、ゴールポストの右へと、それていった。
押せ押せだったホームの空気が、少しずつ、変わり始めていった。
一転、自陣で耐える展開。タックルに入るタイミングが、少しずつ、遅れ出していった。36分のラインアウト。大きく右に振り回されて、同点トライを許し、ゴールも決められた。逆転。この日、初めて、リードを奪われた。
2分後、この日、初めて、中央突破を許した。決着のトライとゴールを失った。
26-35。
ノーサイドの笛が鳴った。選手たち、無表情のまま、立ち尽くした。
一拍を置いた後、何人かの頰(ほお)を、涙が伝った。
前日の練習でマネージャーたちが流した感謝と高ぶりの涙とは、違う涙だった。
4部降格。ビクトリーロードは、つながらなかった。7年間、守り抜いてきた3部の席を降りることになった。
シーズンを締めくくる、最後の円陣が組まれた。
4年生たちの、ラストメッセージ。
この日も最後まであきらめないタックルを連ねた副キャプテンのウィング(WTB)伴場大晟(磐城)。まだ、涙は、かれなかった。
「3部の歴史をつなげず、すみません」
ノーサイドの瞬間、空を見上げて涙をこらえようとした丁野真菜(厚木)。涙顔の笑顔をつくっていた。
「負けちゃったけど、今日、みんなの笑顔をたくさん見ることができた。悔いはありません」
試合中、チャンスでもピンチでも選手に声をかけ続けていた川添彩加(徳島北)。目は真っ赤だった。
「この時間、『宝物』になりました」
100%、悔しくて
選手に負けないくらい、勝利にこだわり続けた岡田彩瑛(立川)。敗北のエンディングは、受け入れがたかった。
「100%、悔しい、しかない。悔しいしか……」
キャプテンのロック中原亮太(湘南)。院生の先輩、同期、後輩への感謝を言葉に託す。
「僕自身、引っ張れるタイプじゃなくて、それでも、みんな、協力してくれて、ついてきてくれて、ありがとう」
東京都立大学ラグビー部、2024年のシーズンが、終わった。
【取材後記】
都立大の取材を始めて、4年が経ちます。過去3年間、ドラマやマンガみたいに劇的な試合に立ち会ってきました。
残り数分を切ってから、息を吹き返したような連続トライで「逆転サヨナラ勝ち」をつかんだ試合。逆に、逆転サヨナラ負けを喫しそうな窮地で、第六感を研ぎ澄ませたようなディフェンスを繰り出して勝ちきった試合。ラストプレーで相手のゴールが決まれば、やはりサヨナラ負けの土壇場で、念が届いたようにキックがゴールポストをそれていった試合。
そのたびに、私は感じました。
これは、「ミエナイチカラ」が働いているに違いない、と。
組織マネジメントに精通したプロコーチ藤森啓介さんのもと、コロナ禍のオンラインミーティング、練習前のチームビルディングを、欠かさず、理詰めで貫いてきたのが、都立大です。
結果、選手とマネージャーの間の壁を溶かして、学年間の壁を溶かして、誰かのために、チームのために、みんなが振る舞うことができるようになる。次から次へと降ってくる難題を、他人事ではなく自分事と受け止めて行動することができるようになる。それが、都立大です。
その結束と一体感が、いざ試合でピンチやチャンスを迎えた時、グラウンドに立つ15人に、15人のポテンシャル以上の、無形のパワーを宿らせる。それが、ミエナイチカラになる。そう、私は感じてきました。
ただ、ミエナイチカラは発動されないまま、2024年が終わりました。
なぜだったのか。
「頑張る」ということの意味を、考えさせられます。
推薦枠などを持たない公立大の部活です。コロナ禍が直撃した2020年から、部員は減るばかりです。ラグビー経験のない初心者を広く受け入れることで、部を存続させてきました。少子化が止まらない時代でもあります。その方針転換、英断だったと思います。先細る競技の裾野を守り抜くためにも。
その反面、競技経験も運動経験も様々な個々の水準を一様に引き上げてチーム全体の水準をキープするのには、なお一層、時間がかかるようになりました。卒業と入学のサイクルが繰り返される学生スポーツで、3部の席をキープするためには、なお一層の「頑張り」が必要になりました。
この1年、選手とマネージャーが一緒になって、課題のフィジカル強化に取り組んできました。見違えるほど体の線が太くなった下級生がいました。そう、頑張っていました。
でも、その「頑張り」は、目標の3部残留に届く頑張りではなかった。
結果が、そう突きつけてきます。
二つの「頑張る」
自分で自分に納得できるレベルの「頑張り」と、その納得に納得せず、まだ広がる目標との距離を詰めて、目標を超えていけるレベルの「頑張り」。この二つの「頑張り」の間には、えてして小さくない隔たりがあります。
そして、勝敗が明確に染め分けられるスポーツの世界では、前者の頑張りが意味をなさなくなってしまうことが多い。どんなに頑張っても、相手を上回る強みを身につけなければ、勝負には勝てないのですから。
都立大の場合、この二つの「頑張り」の間の隔たりが、年々、広がっていった気がします。部の置かれた苦境を考えれば仕方ないことだけど、そもそものスタート地点が、じりじりと下がっていった。そもそものラグビーの土台が危ういから、どんなに頑張ったつもりでも、目標までの距離は遠ざかっていった。追いかけても追いかけても、届かない。だから、どんなにチームビルディングを重ねても、ミエナイチカラを引き寄せられない。そんな風に。
実は社会に出た後も、様々なターニングポイントで問われてくるのは、二つの「頑張り」の後者の方になることが多い。目標との距離を詰めて、目標を超えていくための頑張り、なのだと思います。自己満足で満足せず、自分で自分を追い込んで、自分で自分の枠を超えて、ブレークスルーを遂げられるような頑張りなのだと思います。
アオハルは続く
最後の円陣。藤森さんは、部員たちに語りかけました。
「負けた悔しさと、どう向き合うか。そこから、すべてが始まる。この悔しさ、4年生は、もう、ラグビーで取り返すことはできない。けれど、社会に出て、この経験を生かして、ほかの何かで、取り返してほしい」
頑張ることの、本当の意味を知った、2024年の冬。
4年生は、次のステージで。下級生は、次のシーズンで。
あの日の青く高く澄んだ冬空のような、高い目標を抱く。それって、掛け値なしに、尊いことなのだと思います。
次につながる、いや、つなげなきゃならない、冬だったのだと思います。
今年も、1年間、お読みいただき、ありがとうございました。