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連載:4years.のつづき

高校でバスケを始め、最強チームの青学へ乗り込んだ 佐々木クリス・1

今年のNBAドラフト会議やサマーリーグの報道でも、佐々木さんはバスケ解説者として連日メディア出演をしている

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ9人目は、バスケットボールBリーグの公認アナリストで、解説者の佐々木クリスさん(38)。1回目はバスケとの出会い、そして青山学院大で受けた衝撃についてです。

NBAプレーヤー八村塁、夢を実現するために必要だった大学3年間

ニューヨーク現地時間の6月20日、八村塁(21)がNBAのワシントン・ウィザーズから一巡目9位でドラフト指名された。歴史的快挙を受け、さまざまなテレビ番組で連日のようにバスケの話題が報じられている。これらの番組にしばしばコメンテーターとして出ていた端正な顔立ちの男性。彼こそが佐々木さんだ。

試合解説はもちろんのこと、2017年からはBリーグの公認アナリストとして、バスケの深層に切り込んだ話題を各種メディアに提供。語学力を生かし、NBA選手の来日イベントでは通訳兼インタビュアーとしても腕をふるう。「例年だと、NBAファイナルのシーズンが終わったこの時期は比較的ゆったり過ごしてるんですけど、今年はメディア出演も多くて、(八村が出場する)サマーリーグもチェックしなければなりません。おかげさまで忙しく過ごさせていただいてます」。そう言ってほほ笑み、インタビューの席についた。

佐々木さんは現在、Bリーグの公認アナリストとしても活躍している(写真は有限会社ボイスワークス提供)

4歳までNY、中学の野球部でバスケに出会う

日本人の父とアメリカ人の母のもとに生まれた佐々木さんは、4歳までニューヨークに住んでいた。バスケと出会ったのはこのころかと思いきや、実は父の影響で野球に熱中する少年時代だったという。レベルの高いチームで野球をしたいがために私立中学に入学し、野球部でありながらバスケに出会った。

「朝練は野球じゃなく、別の競技をやるという方式だったんです。2、3カ月くらいの周期で競技が変わるんですけど、中2の12月くらいにバスケをやったらおもしろくて」。ヒーローは、“ペニー”の愛称で親しまれたNBAオーランド・マジック(当時)のアンファニー・ハーダウェイ。中3の最後の野球の大会を終えると、高校のバスケ部入部に向けて猛特訓を始めた。電柱を相手にドリブルターンの練習を繰り返し、母が探してきてくれた地域の体育館に、自転車を30分ほど走らせて通った。「野球命」でバリバリの阪神ファンの父は、野球から興味がそれる息子をとがめるでもなく、テレビのNBA中継を録画してくれた。

未経験で入部した高校のバスケ部でも、佐々木さんのバスケ愛は一目置かれるものだった。個人ロッカーの中はNBA選手の切り抜き写真やチームロゴのステッカーで埋め尽くされ、『SLAM DUNK』のプレーは現実的じゃない、と主張する先輩に「NBAではあれが当たり前ですよ」と反論し、口論になったこともあった。チームには長く専任の指導者がおらず、あまり強くはなかったが、佐々木さんは独学でさまざまなスキルや知識を身につけ、3年生のときにはエースとして活躍した。

青学で自分の無知を思い知らされた

より高いレベルでバスケをプレーすることを目指し、佐々木さんはアメリカの大学への進学を希望していた。「SAT」と呼ばれるアメリカの入試の準備に早くから着手し、高3の夏休みには現地の学校を視察に訪れた。しかし、ひょんなことから日本の大学バスケに興味が沸いた。「自分はまだ日本で実績を残してない。国内で自分の現在地を見定めてから、アメリカに渡るという選択肢もあるかもしれない」。そう考えた佐々木さんは、当時学生最強と言われるバスケチームのひとつだった青山学院大に一般入試で入学した。

青学のバスケ部は各学年4、5人のメンバーで構成される少数精鋭集団。そのほとんどは高校時代に全国大会で活躍した推薦組で、一般入試組の学生は非常に少なかった。しかし佐々木さんには自信があった。高校のバスケ部を引退してからも、毎日欠かさずプレーを続けていたし、準備はできているつもりだった。

佐々木さんは青学大の入試に合格後、初めて挑む「日本のトップレベル」の世界に胸を高鳴らせていた

初めて体験する日本のトップレベルで、自分のプレーはどれだけ通用するだろう――。期待に胸を躍らせながら参加した初日の練習で、佐々木さんは自分がいかに無知だったかを痛烈に思い知らされた。

「最初の1時間くらいのフットワークの時点で、クラクラしてマンガみたいに星が見えました(笑)。ようやくボールを使う練習に移って、最初にマッチアップしたのが2年生のガードの先輩。オールコートのドリブル1対1で、初めてハーフコートを越えられませんでした。フィジカルも強くて、メニューが終わったら足がフラフラ。なんじゃこりゃ、と唖然としました」

佐々木さんに大きな衝撃を与えた相手は、今シーズンからBリーグ・川崎ブレイブサンダースでヘッドコーチを務める佐藤賢次さんだ。京都・洛南高校時代にU18日本代表を経験し、当時は大学バスケ界屈指のポイントガードとして活躍。中学時代には華のあるプレーぶりから、「奈良のマイケル・ジョーダン」としてバスケ専門誌にとり上げられたこともある。

佐藤さんは入部当初の佐々木さんについて、こう話す。

「一般生が入部するという話は事前に聞いてたんですけど、体育館に入るとひとりでドリブルハンドリングをやってて、それがめちゃくちゃうまくて。とんでもないやつが来たなと思いましたね。一番衝撃的だったのは男前だったことですが(笑)」

佐々木さんが中学時代から磨き続けた個人スキルは、大学のトップ選手すらも感心させるレベルに達していたが、残念ながらバスケは個人種目ではない。高いレベルでのプレー経験がまったくなかった佐々木さんにとって、地獄の日々が始まった。

4years.のつづき

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