アメフト

連載:近畿大学アメフト部OB中山一郎の「行動あるのみ」

ドイツ在住の夢追い人・中山イチローの「人生なんとかなってきた」#19 サッカー!

お店の従業員のみんなと初めての忘年会(写真は本人提供)

レストランがオープンしてからは、目の前に起こることすべてが初めてのことばかり。日々湧き出てくる問題を解決するだけで精いっぱいの毎日でした。なかでも外国の地で外国人を雇うということには、ほんとに頭を悩まされました。

何もかもサポートしてくれた従業員たち

想像してみてください、みなさんの家の近くに日本に来て間もないインド人がインド料理店を開業しました。店内に従業員募集の張り紙を見つけ、応募して面接を受けたとします。面接ではインド人のオーナーが日本語を話せないので、何を言っているのかよく分からない……。そんな店で、誰も働きたくないでしょ! ドイツ人からすれば僕はまさしく、そのインド人オーナーと同じ状況だったのです!

最初のアルバイトの子がやってきたときは、外国人と一緒に働くこと自体が初体験。どう接したらいいのかも分かりません。長い沈黙に耐えきれなくなって「何か飲みたいものある?」と切り出したら、「ホットミルク」と予想外の答え! 店にミルクは置いてなかったので、あわててスーパーに走ったりもしました。

それでも日が経つにつれ、外国人と働くことや従業員との接し方にも慣れてきました。意思疎通がスムーズになり、従業員の子たちがあらゆる面でサポートしてくれるようになりました。たとえば「子どもが幼稚園でいじめにあってるかもしれないんだけど、先生になんて言えばいいと思う?」とか「食器洗浄機が壊れたんだけど、故障の状況をどう伝えたらいい?」と聞くと、ドイツ語で紙に書き出してくれるのです。おかげで、従業員は我が家が抱えている問題のすべてを把握していて、家族の一員のようでした。いろんな問題がなんとかなりました。

ある現役Jリーガーとの出会い

店の経営にメドが立つまでは、頭の中は店のことばかり。ドイツへ来た本来の理由であるサッカーに関する仕事について考える余裕はなかったです。でも店のオープンから1年足らずの2013年6月に、小さな転機がありました。「Jリーグの現役選手が数日間アルカトラズホテルに泊まり、僕の店で食事をするから面倒を見てあげてほしい」と、アンドレアスから連絡が入ったのです。吉本興業時代には永島昭浩さんや本並健治さんなど、元Jリーガーの方と接することはありましたが、現役のJリーガーと接するのは初めてだったので、心が躍りました。

その選手に会った瞬間、忘れかけていた「中田英寿に関わる仕事がしたい」という思いが心の底から湧き出てきて、気づけばまるで事情聴取のように質問しまくっていました。聞けば、その選手は海外移籍を希望していて、トライアウトのためにドイツに来ているとのことでした。数日後にはその選手の日本人エージェントも合流、サッカーエージェントという職業の日本人の方に会うのは初めてだったので、このときもマシンガンを撃つように質問しまくりました。

トントン拍子で近づいてきたサッカーの仕事

この出来事を機に「中田英寿に携わる仕事がしたい」という漠然とした目標が、「海外移籍を希望している日本人選手の手助けをしたい」という具体的な目標に変わりました。
それから2年後の15年4月にさらなる転機がありました。それまでFIFA(国際サッカー連盟)の試験に合格した者だけに「FIFA公認代理人」の資格が与えられていたのですが、15年3月31日をもって、その資格制度が撤廃になったのです。つまり、登録さえすれば誰でも選手の移籍交渉や契約交渉ができるようになったのです。つまり、僕でもサッカー選手の移籍に携われるようになったのです。

その3カ月後にも転機がありました。以前に触れましたようにドイツに滞在し、就労するには外国人局の許可が必要なのですが、15年7月、ドイツに来て2度目の更新がありました。

それまで持っていた滞在許可証には「自営業者としてカイザースラウテルンにある、レストラン『AYAME』でのみ働いていい」と書いてありましたが、アンドレアスの推薦もあり、自営業者としてどのような職に就いてもいいという許可証が発行されました。ちなみに、妻の許可証には「従業員としてならどのような職についてもいい」という条件が書かれてました。妻が管理栄養士の国家資格を持っているおかげでドイツにいられるのに、妻の許可証の方が条件が悪く、気まずかったです。

すべてが整ったことにホッとしたのか、新たな許可証が発行された5日後に母親が他界しました。まるで母親が「あんた、サッカーエージェントとして頑張りや!」と言ってるようで、運命を感じずにはいられませんでした。

近畿大学アメフト部OB中山一郎の「行動あるのみ」

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