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連載:OL魂

関西学院大の二木佑介 京大主将だった恩師に勧められファイターズへ

下から相手をブロックにいく関西学院大学のOL二木佑介(撮影・すべて篠原大輔)

関西学生アメリカンフットボールリーグ1部のトーナメント戦は11月8日に準決勝を迎える。5年連続の甲子園ボウル出場を目指す関西学院大学は神戸大学の挑戦を受ける。関学が55-13と大勝した1回戦の同志社大学戦で、長身で細めのOL(オフェンスライン)が必死にプレーする姿に目をひかれた。背番号76で、OLが5人並ぶ中で左端に位置する左タックル。秋の公式戦初スターターの二木(ふたき)佑介(3年、海陽学園)だった。

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ランプレーの際のブロックで同志社のDL(ディフェンスライン)を押しきれなかったり、パスプロテクションでしっかり腕を張れずに内側を割られたりというミスもあったが、二木は常に次のプレーへ気迫十分で向かっていった。それが彼のOL魂なのだろうと思った。

相手の動きをよく見てアプローチする

海陽学園でアメフトと出会う

いま身長189cm、体重101kgの二木は愛知県で生まれ育った。小4までは空手をしていたが、小5からは中学受験の勉強に専念した。最初に受かった海陽学園海陽中等教育学校(愛知県蒲郡市)に入った。この学校はトヨタ自動車やJR東海、中部電力など約80社が計約200億円を寄付し、2006年に開校した全寮制の中高一貫男子校だ。次代のリーダー育成をうたい、「ハウス」と呼ばれる寮で平日は午前6時半に起床。午後10時半の消灯までびっしりスケジュールが決まっている。

7期生として入学した二木は陸上部に入った。専門は長距離。1年ももたなかった。中1の終わりのころには幽霊部員となり、しばらく何のスポーツもやらずにフラフラしていた。中2の夏の終わりごろ、アメフト部の同級生から「入らん?」と誘われて入った。そのころ視力が落ちてきていて、キャッチボールをしてもボールが捕れなかった。寮生活だけにコンタクトレンズを作りにも行けず、ようやく冬休みに「アメフト部に入ったからコンタクトレンズを作らせて下さい」と親に言って、作った。ボールははっきり見えるようになったが、ポジションは基本的にボールを触れないOLになった。

サイドラインで仲間の指摘に耳を傾ける

高1のときはディフェンスのLB(ラインバッカー)、高2でLBとTE(タイトエンド)を兼任、そして高3でOLに戻った。高2の春は海陽学園として初めて関西大会決勝に進出。関学高等部に0-20で負けた。その秋も関西大会に勝ち進んだが、初戦の大阪産大付戦で、いま立命館大学主将のRB(ランニングバック)立川玄明(たつかわ・ひろあき)に走られて17-24で負けた。

西村英明監督のアドバイスで関学へ

高2の終わりごろ、アメフト部の西村英明監督(49)から関学と関東のある大学から声がかかっていると告げられた。「関学に誘われてるなんて、びっくりしました。西村先生はめちゃくちゃ関学推しでした」と二木。西村監督は京都大学アメフト部時代にディフェンスのCB(コーナーバック)として活躍、4回生のときは主将を務めた。学生時代に最大のライバルだった関学を「勝てるチームやから」と勧めてくれた。さらに「関学から話があっても、やっていけそうなヤツにしか伝えてない」とも。二木はスポーツ推薦で関学に進むことにした。海陽学園の仲間には国公立大の志望者が多い。その中で早々に進学先が決まり、精神的に緩んだ。高3になって授業中に寝ていると、西村監督に呼び出され、こっぴどく叱られた。それから心を入れ替え、海陽学園での6年間を終えた。

「関学に対してびびってました」と二木。これまで少人数でやってきた環境とは違い、周りのレベルもグンと高くなる。3年生になったときに2枚目ぐらいの存在になれるようにと目標を立てた。ラインの選手として推薦を受けていたので、入ってすぐOLになった。そのころは体重が100kgほどあったが、初めての自炊に慣れず、90kgぐらいまで減った。関西弁の口調にも慣れなかった。いつも怒られているような気持ちになった。OLの4年生に威圧感十分の人がいて、怖かった。ようやく1年生の夏ごろ、びびらずに日々を過ごせるようになった。

大きな体をかがめて低くスタートをきる

2年生の春の関西大学戦に、OLとして初めてスターターで出た。緊張していて、よく覚えていない。本番の秋~冬のシーズンは、ライスボウルでOLとして2枚目に入り、同期で右タックルのスターターだった牧野隼大(しゅんた、啓明学院)が負傷退場したときに東京ドームでプレーした。

左タックルの系譜受け継ぐ努力

今年になって、4年生の亀井優大(報徳学園)と左タックルのスターターを争ってきた。そして、秋の初戦は二木が先発に名を連ねた。関学に入って以来、最も影響を受けたのが昨年の副将で左タックルだった村田健太(現オービック)だ。「ずっと近くで見てきました。アツい人で、フィニッシュの大事さをずっと言われてきました。受け継いでやっていきたいと思ってます」。フィニッシュとはブロックであれパスプロテクションであれ、相手を圧倒し、圧倒したままプレーを終わるということだ。

村田も2017年度の主将で左タックルだった井若大知(いわか・だいち)から、相手が戦意喪失するようなフィニッシュを受け継いだ。OLの喜びについて尋ねても、二木は「フィニッシュをかけきったとき」と答えた。持ち前の長い腕と機動力を生かし、何とかもう少し太って、圧倒的な強さを目指す。

オープンへブロックに向かうのは得意だという

2年半ほど経験してきた関学のフットボールについて、二木は「細かいです。アサイメントを突き詰めて試合に臨みます」と話した。なぜ強いのかについては「別のポジションとも、めっちゃ話し合います。プレーの直前でもコミュニケーションをとる。あうんの呼吸っていうのとは違って、しっかり話し合った上でプレーを深めていく。やれることは全部やるという感じです」と言った。

フィニッシュをやりきるには、最初の当たりで相手を圧倒しないといけない。12歳で日本のリーダーを育てる学校に入った男はいま、ひたすらに強さを求める日々を過ごしている。

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