ラクロス

連載:ラクロス応援団長・おばたのお兄さんコラム

おばたのお兄さん「ラクロス、やって良かったです」 日体大に入学したあの春のこと

おばたのお兄さんは日体大進学後、初めてラクロスに触れた(写真は本人提供)

4月になり十人十色の新生活がスタートした。僕もまた新しい動きをしている。これを書いている今は、東宝ミュージカル「ウェイトレス」のツアーで、福岡は博多座の楽屋にいる。高畑充希ちゃんや宮野真守さんといった面々の発声練習が聞こえるこの楽屋は、きっと一番の特等席だろう。

おばたのお兄さんの「ラクロス4years.」

日体大に入って「絶対にやろう」と決めていたこと

2007年4月。新潟県魚沼市から上京して日本体育大学に進んだ僕は、大きな楽しみだけを胸に、憧れの大学の門をくぐった。「体育教師に絶対なる!」とか、「消防士になる!」といった気持ちはなく、「日本一のスポーツの大学に入りたい」という気持ちだけでこの大学に入学した。ただ、日体大に入って「絶対にやろう」と決めていたことはあった。それは「サークルではなく、学友会(正式な部活動)に入る」ということ。

僕は同世代の若者より、少し古臭い考えを持っている、と自負する。「サークル」は響きがなんだかチャラチャラした感じがしてしまうから、日体大に入ったからには「部活動」に入るということだけは決めていたのだ。もちろん真剣にその競技に向き合っているサークルもある。というか日体大の場合、サークルもガチ中のガチで、日本一にとどまらず世界一をとるサークルもある。だが僕は古臭かった。頭古臭お兄さんだ。

高校までは10年間野球に没頭した。日体大は硬式野球部も軟式野球部も非常に強く、どちらも僕が学生時代も近年も、大学日本一に輝いている。特に軟式野球部は毎年、大学日本一の座に絡むくらいの強豪である。本格的に志望校を日体大に決めた高校2年生の時は、軟式野球部に入ろうと決意していた。

しかし高3の秋に不運が僕を襲う。地域のおじさんたちの草野球に参加していた時に、他の選手との接触があり、転倒した際に手のつき方を誤って肘が逆関節のように曲がってしまい、利き腕である右肘の靭帯を損傷してしまった。手術も考えたが、日体大の入試にはマット運動などの実技試験があり、それらを考慮すると受験に間に合わないため断念した。その古傷がたたり、その当時は当然、今もなお100%ではボールを投げられなくなってしまった。このことがあり、日体大に入学したての僕はどの“部活動”に入るか迷っていた。

日体大に進学する前から、情熱を注いできた野球ではなく、新しいことに挑戦しようと決めていた(撮影・齋藤大輔)

男子ラクロスはキャッキャではなく格闘球技

二本の縄とアクロバットやダンスを融合した「ダブルダッチサークル」は毎年世界大会にも出場していてとても魅力的だったが、あくまで「サークル」扱いだった。ここで古臭お兄さんの登場。部活動ではないために断念。前述した通り、100%では野球ができなくなったために必然的に硬式も軟式も野球部は諦める。部活動を決定するにあたって、ここで一旦、自分の中で部活動を決める条件を整理した。

・球技
・大学から始めても活躍できるスポーツ
・チームスポーツ

以上の条件を満たす部活を探した結果、「ラクロス部」に行き着いた。

ここでみなさんに問う。ラクロスって「プリキュア」とか「猫の恩返し」みたいに、女の子がスカートをはいてポニーテールにしてキャッキャするスポーツだと思ってません? 僕はそう思っていた。しかし男子ラクロスは違った。アメフトのように防具やヘルメットを身にまとい、サッカーコートほどの広さのコートを縦横無尽に駆け回り、ラグビーのようにタックルし合う。シュートのスピードは学生でも130kmや、140km程にもなる。まさに格闘球技。僕は部活動見学に行った日にその魅力を感じ、入部を決めた。

体験入部に来ていた同じ新入生は20人ほど。野球、バスケ、サッカー、バドミントン、水球、帰宅部と、高校の時にやっていた競技は様々であった。帰宅する競技って何?って話だが。つまり、スタートは皆一緒だった。だからこそなんの負い目も引け目もなく始められた。

そして魅力的だったのは、いわゆる「大学生」を謳歌(おうか)できるところ。ラクロス部は真剣に部活動に取り組みながらも週に2日はオフがあるため、“大学生”をすることができた。大学生になったからには合コンというものもしてみたいし、アルバイトなんかもしてみたい。当時流行っていたドラマは「オレンジデイズ」で、“THE大学生活”に憧れていたので、僕からしたら完璧な環境だった。

やったこともない競技を仲間と切磋琢磨(せっさたくま)しながら成長していく時間は、かけがえのないものだった。まさに青春そのもの。そんな熱をガンガンに帯びている1年生の時に、チームは学生日本一に輝いた。尊敬する4年生たちが涙を流し歓喜する姿は、憧れであり刺激そのもので、僕らのラクロスに対しての火に油を注いだ。その火はきっちりと4年間燃え続け、僕の大学生活の思い出の全てとなった。僕らの代は残念ながら日本一には輝かず、関東学生リーグの予選で敗退することとなったが、そんなことよりも、今もなお心の支えとなる仲間ができた。それが何よりの財産だ。

不安を「ドキドキ」と捉えてほしい

人は普通、新しいことに挑戦するということは、不安が勝つ。先にくる感情もこれの人が大多数だと思う。しかし、新しいことに挑戦するということは、見たことのない自分や世界、感じたことのないことを感じるということ。こんなにワクワクすることは他にあるだろうか? そんなワクワクを感じさせてくれたのが、僕にとっての「ラクロス」だった。

新しいことへの挑戦を楽しむ気持ちは今も変わらない(撮影・齋藤大輔)

新しいことを始める時に不安が勝ってしまうのならば、その不安を「ドキドキ」と捉えてほしい。新しい自分に、世界に出会ってほしい。知らないことを知るということは楽しいものだ。そして次なるトライの後押しとなるのだ。

僕はまた、ミュージカルという知らない世界に今出会い、毎日がこの上なく楽しい。これを読んでくれているあなたの今も、次の道も楽しくなってほしいと、博多座の楽屋で今思う。

ここで改めて思う。

ラクロス、やって良かったです。

ラクロス応援団長・おばたのお兄さんコラム

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