陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

駒澤大で箱根優勝の小林歩選手 NTT西日本で見据えるマラソンへの道!

駒澤大学を卒業し、今年NTT西日本で新たなスタートを切られた小林歩選手(写真提供:宮下亜弓さん)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は小林歩選手(22)のお話です。駒澤大学では昨年度、全日本大学駅伝優勝、箱根駅伝総合優勝に貢献。この春、NTT西日本に入社して、実業団選手として新たなスタートを切られました。M高史の大学の後輩でもあります。

愛校心が芽生えた関大北陽高校時代

大阪府出身の小林歩選手。小学校ではバスケットボールをやっていましたが「全然うまくなくて(苦笑)走るのは得意だったので中学から陸上を始めました」。中学では大阪府通信陸上で3000m7位に。1500mよりも3000mといったように距離が伸びるごとに持ち味が生かされたそうです。

高校は関大北陽高校へ。「走る量が増えて、3年間けがが多かったです。走って結果を出して、すぐけがをしての繰り返しでした」。けがが多かったという高校時代でしたが小林選手はうまく気持ちを切り替えて過ごしていました。

「陸上でけがをして、気持ちがふさいでいても仕方ないので、高校生活を楽しもうと気持ちを切り替えていました。けがのことばかり考え過ぎないようにしていましたね。その方が心に余裕が出てきて、かえって良くなったりもしていました」と切り替えのコツを教えていただきました。

関大北陽高校陸上部には珍しい伝統があるそうで「毎日、練習終わりに校歌を歌うんですよ!珍しいですよね(笑)。愛校心が芽生えるのか自分の学校が好きになっていきました!」。甲子園の強豪校よりも校歌を歌う回数は多かったことでしょう(笑)。

また年末には須磨海岸で寒中水泳の行事もありました。「最初は冷たいのですが、アイシングと一緒でだんだん慣れてきて楽しくなってきます(笑)」と個性溢れる陸上部で心身ともに磨かれ鍛えられました。

けがが多かったそうですが、愛校心が芽生えたという高校時代でした(中央が小林選手、写真は本人提供)

競技の方では3年生の時に都大路の3区を走りました。「2年生の時は故障で出られなかったのですが、その時に先輩たちは大阪府高校記録を更新しまして、すごいなと思うとともに悔しくて、3年目は出たいと思って1年間取り組むことができました」。さらに都道府県駅伝では大阪代表で1区を任されます。「強い選手たちに囲まれて自信はなかったのですが、ゾーンに入って全然キツくなくて、気がついたら上位にいました。最後はしんどかったのですが、のちに駒大で同期になる加藤淳(当時・西脇工業高校。現・住友電工)が見えたので、勝ちたいと思って走りました」。結果は小林選手が区間7位、加藤選手が区間8位。同タイムながら小林選手が先着しました。

高校3年生で出場した都道府県駅伝では1区で区間7位と好走(写真は本人提供)

「楽しかった思い出がありすぎる3年間でした。関大北陽に行ってよかったと思える高校時代でしたね」と充実した高校3年間となりました。

駅伝メンバー外タイムトライアルからの飛躍

高校卒業後は憧れの駒澤大学へ。しかし入部して早々「入った時はすごいところに来てしまったと思いましたね。朝練習からヒイヒイ言っていました(笑)」とレベルの高さ、先輩や同級生との力の差に驚きました。

けがばかりだった1年目。「周りの同級生が駅伝に出ていて、自分はけがをして寮の仕事しかしていなくて、親にも申し訳ない気持ちでした」。その後も2年生の途中までけがが多かったという小林選手。思いきって大八木弘明監督に相談したところ「練習が継続できるように量を減らしていただき、専用の練習メニューを作っていただいたんです」。そこから徐々に走れるようになっていき、年末に行われた駅伝メンバー外のタイムトライアルではトップを獲る走りを見せました。

『メンバー外タイムトライアルでトップを獲るとその後ブレイクする率が高い』という駒澤大学の伝統。過去には実業団に進んでから日本選手権5000m優勝を飾った星創太さんも大学1年生の時にメンバー外タイムトライアルでトップを獲り、そこから飛躍されたことを知り、自信にもつながりました。

2年生の12月末のメンバー外タイムトライアルでトップを獲ったことが飛躍につながっていきました(写真は本人提供)

メンバー外タイムトライアルでトップを獲ったあとには、先輩の中村大成選手(現・富士通)から「『箱根を走りたかったらAチームでやるしかないよ』とアドバイスをいただきました。そこからAチームで練習をやるようになり、10回のうち8回くらいはつけるようになってきました。意外とやれると感じました」。先輩のアドバイスも大きかったとふりかえります。

3年生で学生3大駅伝フル出場

Aチームの練習に果敢に挑戦していった結果、力をつけていき、3年生で学生3大駅伝デビューを果たします。

駅伝デビュー戦となった出雲駅伝では4区を任されました。3区で当時ルーキーだった田澤廉選手(現3年、青森山田)が首位に立つ快走。「『1番で来たか!』と思いましたね(笑)。とりあえず離されないように必死で全力で走りました」。小林選手も粘りきって区間3位、同タイムながら首位をキープする堂々の学生駅伝デビュー。レースの方は6区で國學院大學が逆転し初優勝、駒澤大学は惜しくも2位となりました。

続く全日本大学駅伝では2区。「11.1kmなので意外とレース前になんとかなると思って、自信もありました。ただ、途中から伊藤達彦選手(当時・東京国際大学、現・Honda)が来てスピードが違いすぎて驚きましたね。ついていこうと思ったら1kmもつけなかったです」。それでも「自分の任された役割はできたかなと思います」。区間5位、チームは3位となりました。

伊藤選手とのスピードの違いに驚いたといいます(撮影・藤井みさ)

その後、箱根駅伝へ向けての練習を積む中、ピンチが。「1週間前に膝の痛みが出まして、毎日治療に通ってなんとか最後の調整をやって間に合わせました。正直、走る前は自信もなかったですね」。なんとか間に合わせながら7区区間5位の走り。「もうちょっといきたかったですが、最低限の走りはできました」。ただ、チームとしては総合8位に。「噛み合わなかったところもあり、色々考えさせられたレース」とふりかえります。

最終学年で全日本、箱根制覇!

4年生で最上級生となりましたが、昨年はコロナ禍により大会中止、グラウンドが使用できないなど、様々なことが制限される日々が続きました。「自分はけがで走れていなくて、その間は他の4年生が引っ張ってくれました。ありがたかったですし、申し訳なかったですね」

学生3大駅伝の初戦となる出雲駅伝は中止。迎えた全日本大学駅伝。「全日本はなんとか優勝しようとチームで話していました。(同じ区間を走る青山学院大学の)神林(勇太)くんが強いのはわかっていました。試合前もアンカーの田澤に『自信ないから頼むわ』と言ったら『任せてください!』と言われて心強かったですね!」。スーパーエースに全幅の信頼を寄せていました。

全日本大学駅伝7区では小林選手の真骨頂ともいえる「粘り」の走りを披露しました。「先頭(青山学院大学)と20秒くらいで渡したかったのですが、40秒まで広がってしまって……それでもなんとか東海大学さんから離されないようにと思って」と気持ちで襷(たすき)を繋いだそうです。このときは区間4位でした。

小林さんの粘りの走りが8区での逆転劇につながりました(写真は本人提供)

8区で先行する青山学院大学に東海大学と駒澤大学が追いつき、逆転する激しい優勝争いが繰り広げられました。「バスで移動しながらテレビで見ていました。田澤のラストの強さはみんなわかっていましたから、ラストまでいったら勝てると思ってました。普段の練習から別格でしたね。田澤が入学してから練習の内容、質、設定タイムも上がりました。全てを変えた男ですね(笑)」。激しい鍔迫(つばぜ)り合いを制し、駒澤大学は6年ぶりの伊勢路制覇となりました。

そして、最後の箱根駅伝は3区。4年生で出場したのは小林選手のみとなりました。「今までお世話になった大八木監督、奥さん(大八木京子さん)、青山主務、チームのみんな、両親のためにも絶対自分がいい走りしないといけないなと一番思った試合でした。ここで凡走したらカッコ悪いなと(笑)」

小林選手が襷を受け取った時には8位。「とにかく前を追って、5kmを14分ちょうどくらいで突っ込みましたね(笑)。追いついたらなんとかなると思いました。区間賞を取れれば一番よかったのですが」。区間2位の走りでチームの順位を3位にまで押し上げました。

3区で田澤選手から襷を受け取り、順位を8位から3位まで押し上げました(撮影・藤井みさ)

チームとしては13年ぶりの総合優勝。「監督が喜んでいるのを見て一番嬉しかったです。色々込み上げるものがありました」。また、大八木監督の奥様・京子さんへの感謝も。「食事を作り続けていただいて、優勝して奥さんも喜ばれていて嬉しかったです。自分は乳アレルギーがあって牛乳が飲めなかったりするのですが、食事でも個別に対応してくださいました。家族のように接してもらっていたので恩返ししたいと思っていました」

最初は辛いことが多かったという下級生の時期を乗り越えてきた小林選手。「山あり谷あり、谷の方が多かったですが(笑)、いい時ばかりだと楽しくないですし、谷を経験したからこそですね。駅伝で優勝もさせてもらって、大八木監督の指導も受けることができ、トータルで見たらいい4年間でした」

そして、実はヘッドコーチの藤田敦史さんに憧れて駒澤に入ったという小林選手。「マラソンは人にやらされている練習じゃなく、自分からやろうと思って主体的にやる練習だと教えていただきました」。マラソン元日本最高記録保持者であり母校の大先輩でもある藤田ヘッドコーチから競技に対する姿勢も学びました。

実業団で新たなスタート

駒澤大学を卒業し、この春から実業団・NTT西日本で新たなスタートを切った小林選手。

「大学の時よりも自分で考えてやることが増えましたね。より主体的に取り組めています」。今は大学時代のメニューをベースに試行錯誤しながら色々なことを試しています。

「自分の色を出せるように考えてやっています。やっぱり駒大の現役学生に勝つためには同じことをやっていては勝てないですからね」。後輩たちの活躍が大いに刺激となっているそうです。

世界選手権マラソン日本代表を3度経験している清水康次監督からは「練習は肩の力を抜いて」というアドバイスが。「清水監督は1から10まで言わない方で、ポイントポイントでいいアドバイスをいただく感じです。継続することが一番大事と常々お話されています」。継続した練習の成果を発揮し5000m13分37秒99、10000m28分08秒27とトラックでも自己新を連発。「トラックのタイムを伸ばして、ゆくゆくはマラソンに挑戦したいです。スピードを強化してマラソンにつなげたいですね。高速化でスピードがないと勝負できないので今はスピードを磨いています」

NTT西日本グループ入社後、5000m、10000mともに自己記録を更新。スピードを強化しマラソンに挑みます(写真提供:宮下亜弓さん)

今後の目標をうかがったところ「7月のホクレンディスタンスで27分台を確実に出したいですね。そして、今年まずは1本マラソンを走りたいです。まずは経験したいですね。将来的には日本代表になりたいですし、駅伝でもニューイヤーで区間賞を取りたいです!」と爽やかな笑顔で、そして力強く話されました。

チームメートのパトリック・ワンブィさんと並走する小林選手(写真提供:宮下亜弓さん)

大学で駅伝優勝を経験してもなお高みを目指し、現状打破し続ける小林歩選手。真骨頂である粘りとロードの強さを活かしてマラソンへの挑戦にも注目です!

M高史の陸上まるかじり

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