ラグビー

下手くそでもできること、前主将からのメッセージ 東京都立大学ラグビー部物語9

後輩たちの練習に参加する前主将の福原。後を託した部員に穏やかに接している(撮影・全て中川文如)

入学、進級、後輩から先輩になり、やがて卒業。部活動には必ず、いくつかの節目がある。ちょっぴり不安な学生たちを、そのたびに新たなスタートが待っている。

出発点は必ずしも横一線じゃない。彼は決まって、列の後方からのスタートだった。2020年度の東京都立大学ラグビー部キャプテン、福原大毅(22)。ウサギとカメの、カメのように。ゆっくり、じっくり、でも着実に前へと進み、最後、最高な形にチームを束ねた。

スイカジャージーにのみ込まれ、辿り着いた結論は 東京都立大学ラグビー部物語8

野球からラグビー、SHからフッカー

中学まで野球少年。セカンドやショートを守っていた。ラグビーと出会ったのは神奈川・川和高校。「僕が通っていた中学の野球部から川和に進んだ先輩が、みんなラグビーをやっていて。お前も入れよって流れに引っ張られて」。身長165cm、体重50kg。最初に挑戦したのはスクラムハーフ(SH)。小柄な初心者があてがわれる定番のポジションだった。

昨年の公式戦でスクラムを組む福原(中央)。高校時代からスクラム最前列でチームを支えた(都立大ラグビー部提供)

小さくて、どうしてもコンタクトで負けてしまう。「先輩や同期に申し訳ない気持ちでいっぱいだった」。だからなのか。力と力がぶつかり合う象徴のスクラムに憧れた。2年生になり、そのスクラムの最前列中央を担うフッカーに転向。センスよりもまず、基本動作をさぼらず繰り返せる勤勉さが問われるポジションは「自分の居場所」だと感じられた。筋トレに励み、たくさん食べて、レギュラーの座をつかんだ。

大学では勉強専念のつもりが

その年の花園(全国高校大会)予選は激戦区・神奈川でベスト16入り。3年生になり、さらなる高みをめざし、初戦で散った。部員は17人ほどだった。「人数が少なくて、はたから見れば負けて当然の実力だったと思います。僕たちは、本気で勝ち上がろうとしていたのだけれど」。不完全燃焼を胸の奥にしまい、大学では理系の勉強に専念するつもりだった。

が、彼が行くところ、流れは楕円(だえん)球に傾く。「川和の先輩がラグビー部にいて、それなら続けようかと」

またしても出発点は列の後方だった。「都立大でも一番、体が小さくて。しかも同期には、花園まであと一歩だったヤツらが結構いた」。埼玉・浦和高校に福岡の修猷館高校、小倉高校。文武両道の強豪校出身者が集っていた。「川和、(ラグビーでは)無名なんだけど……」。1年生の時は「試合に出られても最後の5分程度」の存在に甘んじた。2年生になると首のヘルニアに苦しんだ。3年生になっても鉄板レギュラーの地位は築けなかった。

モールを押す福原前主将。なかなかレギュラーをつかめなかった(都立大ラグビー部提供)

初主将、藤森コーチとの出会い

迎えた最高学年。そんな福原が、同期10人からキャプテンに推された。なんで、オレ? 込み入って理由を聞いたことはない。ただ、思い当たる節はある。「能力や体のサイズじゃ全然勝てない。でも、ラグビーに対する姿勢、パッション(熱量)で負けたことはない。みんな、それを見ていてくれたのかも」

誰より早くグラウンドに来て、帰るのは最後。練習の虫を地で行った。オフもウェートトレーニングを欠かさない。脂肪じゃなく筋肉で体を太らせるため、高タンパク低脂肪の食事を大量摂取。例えば、サラダチキンとか。そうやって、体重はラグビーを始めた頃の2倍に迫る89kgに。ベンチプレスのマックスは120kgに達した。「僕らは早慶明のような強豪校ではないけれど、一日一日を無駄にせず過ごすことは、下手くそでもできる。逆に、そこで手を抜いたら終わりだから」

生まれて初めてのキャプテン。腹をくくって最初に手をつけたのは、コーチ人事だった。

「このチームに足りないのはビジョン。『この状況なら、こうプレーする』という共通認識が必要」。弱者が勝つには意思統一と組織力を徹底するしかない。逆境を努力と工夫で乗り越えてきた福原らしい発想だ。大阪・早稲田摂陵高校や国際基督教大学を、熱く、理詰めの指導で導いた藤森啓介(36)の存在にインターネットで注目していたのもまた、熱い福原らしかった。「あの人なら」。部員たちと相談し、ツテをたどってコーチを頼んだ。快諾。遂にチームは軌道に乗るぞと手応えを得た矢先、今度はコロナ禍に見舞われた。

練習を見守る藤森コーチ(左)と福原前主将(右)

掲げていた目標は関東大学リーグ戦3部優勝、2部昇格。緊急事態のルール変更で、たとえ優勝しても2部昇格の道はなくなった。「都立大の歴史を変えようと練習に打ち込んできたのに、その思いが取り上げられてしまった」。一人、悔し泣きしたことは誰にも明かしていない。せめて3部優勝を果たそうと心に誓った。しかし東京工業大学、駿河台大学に屈する連敗スタート。優勝もなくなった。

連敗スタート、へこたれない

カメは、へこたれなかった。続く国際武道大学戦に快勝。東京農業大学との5位決定戦が、シーズン最終戦となった。過去2年間、勝てなかった相手は昨季の3部優勝チーム。実は相当の実力者だ。「去年までの都立大とは違うんだって証明する、最後で最高の舞台」。覚悟をみんなに伝え、モチベーションを切らさないように切らさないように振る舞った。試合直前の円陣、叫んだ。「コロナ禍で試合ができることに感謝して、80分間、思いっきり楽しもう。感謝を出すぞ! As One!」

As One。ひとつになる。福原が決めた部のスローガンだった。「勝つために何が必要か。たどり着いた答えが、As Oneだったんです」。学年間の壁、選手とマネージャーの間の壁。プレーする以前にみんなが感じていた課題を、誰より重く福原が受け止めていたからこその、As One。藤森に教えを請うたのは、彼独特のリーダーシップ研修やチームビルディングで様々な壁を溶かしたかったからでもある。

勝負の東農大戦

ひとつになって勝つ。願いが詰まった最後のAs Oneを合図に、東農大戦の幕は上がった。集大成の80分間を、福原はあまり覚えていない。

昨年12月の東京農業大学戦。試合前の円陣で涙を流す福原(中央、都立大ラグビー部提供)

連戦で体のあちこちが痛んでいた。「もって20分かも」と割りきった戦い。得意のライン参加は無理だった。密集に突っ込み、仲間を鼓舞。それが精いっぱいだった。いまも確かに思い出せるのは、10点リードで残り20分を切って交代したこと。タッチラインの外から見守る仲間たちが自陣ゴール前で釘付けにされ、3点差に追いつめられたこと。でも、なぜか「コイツらなら逃げきってくれる」と落ち着いて応援できたこと。勝った瞬間、泣いたこと。同期はもちろん、後輩やマネージャーまで涙を流す姿に驚き、感動してまた泣いたこと。良いチームになったなって、しみじみ浸ったこと。

良いチームとは

なぜ、良いチームになれたのか。沈思黙考し、福原は答えた。「繰り返しになるけれど、一日一日を無駄にせず過ごすのは、下手くそでもできる。目の前の練習に全力を尽くす。相手に倒されても、すぐ立ち上がる。そういうことなんじゃないでしょうか……。ただし、『今日、出しきれたな』って振り返る余裕がある時って、多分、出しきれてないんですよね」。振り返る余裕がなかったのが、東農大戦だった。

福原の答えは、藤森がチャンピオンシップマインドと呼ぶ心根に通じる。チーム結成時、理想の境地として提示されたもの。日本一、幸せなチームになるために必要なもの。グラウンドの内外で一分一秒を無駄にしないのがチャンピオン。そう、自らに、チームに、行動で問いかけ続けることのできるキャプテンが福原だった。

ちなみに福原、いまは東京都立大学の大学院で、情報セキュリティーを強化するための暗号を研究している。「将来、世の中の役に立てたら」。ラグビーは辞めた。あっというまに体重が60kg台に落ちた。「現役時代は、食べるの、辛くて」

後輩たちの練習を手伝おうにも「軽くて役に立たない」のが悩みの種。果たせなかった3部優勝、2部昇格。As Oneの継承。全ては託した。

***
昨年の東農大戦は、今の選手たちの大切なマイルストーンになっている。泣いてしまうほど深く心に刻まれた一戦。その舞台に導いてくれた先輩たちを超えたい。その先に目標達成があるのだと。いったい、どんな80分間だったのか。次回、福原の記憶からほぼ消えてしまった80分間を、たどってみる。

【続きはこちら】冷めた翼が熱くなった 雨の最終戦キックオフ

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