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連載:監督として生きる

戦術はチームを強くする、宮古島に来た監督の教え 名古屋D U15・末広朋也HC1

末広さんは名古屋ダイヤモンドドルフィンズU15が開校した2018年からヘッドコーチを務めている(写真提供・B.LEAGUE)

今回の連載「監督として生きる」は、名古屋ダイヤモンドドルフィンズU15のヘッドコーチで、今年3月のユースチームの全国大会「BリーグU15チャンピオンシップ」でチームを連覇に導いた末広朋也さん(35)です。4回連載の初回は沖縄・宮古島でバスケットボールに打ち込んだ日々についてです。

「優勝=育成成功」ではない

2018年、BリーグはB1ライセンスの取得条件に、U-15年代を対象としたユースチームの設置義務を盛り込んだ。中学のバスケ部との掛け持ちを認めないチームが生まれ、19年には部活チーム、クラブチーム、ユースチームが一堂に会する大会「ジュニアウインターカップ」が新設された。日本のジュニアバスケットボール界は、この数年で新たなフェーズに突入した。

名古屋ダイヤモンドドルフィンズU15は、17年にスタートした「BリーグU15チャンピオンシップ」で21年、22年と連覇を達成した。大会結果を単純に評価すれば“強豪”であり、ヘッドコーチの末広朋也さんは“結果を残している指導者”なのだが、肝心の本人はそのようなとらえ方をしていない。

「もちろん優勝を目指してやっているんですけど、『優勝=育成成功』という答えは、確実に導き出せるものでないはと思っています。もちろん、みんなで喜びを分かち合えたという意味では本当に幸せな結果でしたし、優勝を望んでいた選手たちにとってはすごくいいゴールだったんですけどね」

各ユースチームに課せられる最大の目的は、トップチームで活躍できる人材を育てること。名古屋D U15ではさらに、「世界と対等に戦える選手の育成」というところまで視野に入れている。15歳やそこらで残した結果は、あくまで過程でしかないというのが末広さんの考え方だ。

「大会での優勝を大前提にしていたら、毎日の練習の仕方が変わってしまいますし、選手に『今、勝つ』ための限定的なものを求めてしまうかもしれません。今は、年間を通して選手の成長を意識しながら、大会が近づいた時にチームっぽく仕上げる、みたいなやり方をしていますけれど、これが本当に選手のキャリアにプラスなのかどうなのかは、正直分かりません」

ユース制度が本格的にスタートして、たった数年。この制度がもたらす未来を明確に見定めている者、メソッドの解(に近いもの)を持っている者がほとんどいないのは、少し考えれば推測できることではある。それでも安易な答えを声高に主張せず「分からない」と言える末広さんの人間性は、推して知るべし。現状を認識した上で未来を見つめ、誠実にトライアンドエラーを繰り返すことが、ユース黎明期(れいめいき)のコーチに求められている姿勢なのだと感じさせられた。

新監督に戦術の大切さを学び

生まれは沖縄の離島・宮古島。東海大学在学時に同大男子バスケ部で学生コーチを務め、卒業後は男子日本代表チーム初のアナリストとして、U15からフル代表まですべてのカテゴリーの分析業務を担当。18年、30歳の時に名古屋D U15の初代ヘッドコーチに就任した末広さんがコーチングに興味を持ったのは、高校3年生の時だった。

末広さん(中央)がバスケ少年だった時、監督の教えで戦術の大切さを実感した(写真提供・B.LEAGUE)

末広さんが所属していた宮古高校男子バスケ部は、末広さんが主将に就任した当初、県大会で1~2回勝てれば御の字というチームだった。「(身長)180cm以上の選手が誰もいないような小さいチームでしたけど、スピードと勢いはあったので、くじ運が良ければ100点ゲームで勝てるんです。ただ、実力のあるチームと当たったらボコボコに負けて宮古に帰ってくる。僕がキャプテンになってからは、どうすれば沖縄本島の強いチームに勝てるんだろう……と毎日考えていたような気がします」と末広さんは振り返る。

そんなチームに高3の春、新しい監督が赴任した。人口6万人足らずの離島で、勝ち方が分からず悶々(もんもん)としているバスケ少年たちに、監督は勝つためのアイデアを整理して伝えた。

「『本島のチームとやり合うにはサイズが小さいから、それを補うために変則のゾーンディフェンスをやろう』とか『スピードを生かすにはこう攻めた方がいい』とか、すごく分かりやすく説明してくれました。そして、先生に導かれて練習しているうちに、気づいたら練習試合で本島の強いチームに勝てるようになっていたんです。僕は小学生のころから先生に恵まれていて、ずっと『学校の先生になりたい』『子どもたちにバスケを教えたい』という夢を持っていましたが、監督に出会い、試合にはしかるべき戦い方があるということを体験したことで、より戦術に関心を持てるようになりました」

スター軍団・興南との一戦

末広主将率いるチームは、新チーム始動時に「県総体ベスト8に入って後輩にシード権を残す」という目標を掲げていたが、当初は夢物語に近いものだった。しかし、監督の助けを借りながら少しずつ技術や自信を身につけていき、見事有言実行を果たした。

「ベスト8では、シード校かつ会場だった浦添高校に、紙一重で勝利しました。まわりから『無理だろう』と思われていた目標を達成できて、『うわー、ここまで来られたかー』ってなんだか不思議な感覚でしたね。次の相手は、第1シードでスター軍団の興南高校。勝てるわけないよなあって思いながらも、うちのディフェンスだったらもしかして……なんて思ったりもしてたんです。ところが、変則ゾーンは興南に対策されていると読んだ監督の指示でマンツーマンをやったら、いきなり20点差くらいつけられちゃって。普段変則ゾーンの練習ばっかりしてるから当然といえば当然なんですけどね。ゾーンに切り替えたら、それ以降は点差が広がらなくて、試合後に監督が『最初からやってきたことを信じて、ゾーンをやっとけば良かったな』って言ってたのをすごく覚えています(笑)。そういうことも含めて、楽しい思い出です」

部を引退した末広さんは、体育の教員として島の子どもたちにバスケを教え、チームを日本一に導くという目標を胸に、1年の浪人を経て東海大学体育学部に入学した。

実は、末広さんが同大バスケ部に入ったのは大学4年生の春のこと。それまでは別の場所でコーチングを学んでいたのだが、その話は次回のストーリーにてお伝えすることとしよう。

東海大で外部のバスケコーチに、4年目の前に決意 名古屋D U15・末広朋也HC2

監督として生きる

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