陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

立命館大OG・田中華絵さん 消去法で進んだ世界も「陸上なくして、今の自分はない」

立命館大学OGの田中華絵さん。実業団ではアジア大会マラソン日本代表に(すべて本人提供)

今週の「M高史の陸上まるかじり」は田中華絵さんのお話です。筑紫女学園高校では世界ユース1500m7位。立命館大学では全日本大学女子駅伝優勝も経験。ユニバーシアード(現・FISUワールドユニバーシティゲームズ)では10000mで銀メダルも獲得されました。実業団では世界クロカンやアジア大会の日本代表も経験し、この春、現役を引退されました。

軟式テニス部から顧問の先生に誘われ陸上部へ

1990年2月生まれ、福岡県出身の田中さん。小学生の頃は「友達に会いたくて」ということで水泳をしていました。中学に入り最初は軟式テニス部に。「『テニスの王子様』っていう漫画がはやっていたんです(笑)。ただ1年生は最初、球拾いをしたり、体力作りのために校舎の周りを走ったりしていました。校舎の周りを走っている時に陸上部の顧問の先生から『絶対、陸上をやった方がいいよ』と声をかけられたんです。そこから陸上部に入りました。誘われなかったら絶対に陸上を始めてなかったですね(笑)」。陸上部の先生からのお誘いで田中さんの陸上人生がスタートしました。

入部後は短距離やハードルも経験したものの「センスもなくてリレーメンバーにも入れませんでした。中・長距離の部員が少なくて、すぐに試合に出られる800mとか1500mをやることになりました」。

消去法のような形で中・長距離を始めた田中さんでしたが、そこから急成長! 中学2年生になるとジュニアオリンピックの1500mに出場するまでとなりました。「ジュニアオリンピックが横浜での開催でした。横浜どころか東日本に行くのが初めてで、うれしかったのを覚えています」

中学時代の田中さん(左端)。ジュニアオリンピックや国体にも出場しました

3年生の国体少年B800mでは6位入賞を飾りました。「スタート時間が夕方で、初めてナイターを経験したことが記憶に残っています。レース前、雨が降ってトラックがぬれていて、ナイターで照明もついて、テンションが上がりました(笑)。走ったメンバーもすごくて、優勝したのは小林祐梨子さん。同い年でその年の全中チャンピオンだった絹川愛選手も出場していたので、印象に残る大会でした」と中学時代を振り返りました。

筑紫女学園高校時代、念願の世界ユース日本代表に

高校は筑紫女学園高校(福岡)へ。「初めての寮生活でしたが、楽しかったですね。先輩も優しかったです」。高校時代はインターハイで1500m7位、国体少年B800m3位、国体少年共通1500m5位など全国大会でも入賞を重ね、1500mでは世界ユースの日本代表も経験しました。

「世界ユースに絶対出たいと願い続けて生活していました(笑)。高校3年生の時に出場しました。私は早生まれだったので出場資格があったのも運がよかったです」。念願の世界ユースでは1500m7位入賞を果たしました。

「チェコでの開催で移動も飛行機やバスなど初めての体験が多くて、すごく印象に残っています。自己ベストに近いタイムで7番で入賞できて、当時の河村(邦彦)監督も喜んでくださったのを覚えています。高校時代を振り返ると、大濠公園や平和台陸上競技場も近くて、練習場所もいい環境でした。また、チームメートとの出会いにも恵まれて充実した3年間でした」

筑紫女学園高校時代の田中さん(前列左から2人目)

立命館大学で2度の駅伝日本一

高校卒業後は立命館大学へ。「最初の2年間は陸上部の寮がなくて一人暮らしでした。全部ではないですが自炊もしていました。入学してすぐ全身にじんましんが出て、体調管理に苦労した部分もありました。いま思えば環境の変化も(原因の一つに)あったのかもしれないです」。入学直後は少し出遅れましたが、10月の全日本大学女子駅伝には1年生からメンバー入り。自身は区間賞を獲得し、チームの優勝に貢献しました。

「ギリギリでメンバー入りしたんですよ。試合前、ものすごく緊張したのを覚えています。優勝して、みんなで喜んだのが印象に残っています」。立命館大学は当時、全日本大学女子駅伝で3連覇(2006年〜2008年)を達成しました。

田中さんが2、3年生のときは2年連続で2位。佛教大学が連覇を果たしました。「特に3回生の時は、チームの状態も良かったのに勝てませんでした。これで負けて『これ以上どうすればいいの』というくらいに力の差を感じて、かなり落ち込んだ負けでしたね。そこから1年『絶対勝ちたい』という気持ちでした」

キャプテンとして迎えた最終学年。「佛教大学が強いのはわかっていましたが、『最後は笑って終わりたい、このメンバーで勝ちたい』と思っていました。同期に恵まれましたね。1年生の時の優勝もうれしかったですが、先輩たちに引っ張ってもらって、くっついていって『ありがとうございます』という感じでした。4年生で自分たちが引っ張る立場になって、強いチームを作っていこうと。どちらの優勝もうれしいですけど、中身が違ったかなと思います」

4年生の時には主将を務め、全日本大学女子駅伝で優勝を飾りました(前列左から2番目が田中さん)

トラックからクロカンまで、幅広く日本代表を経験

大学では駅伝で活躍しただけでなく、日本代表も経験しました。ユニバーシアード(現・FISUワールドユニバーシティゲームズ)では10000mで銀メダルを獲得。

「銀メダルはとったのですが、変なレースをしてしまいました。先頭に飛び出した選手につくかつかないか、迷ったんです。結局、最後まで追いつけなくて、微妙なレースをしてしまいました。男子10000mでは大迫傑選手が金メダルをとったのですが、大迫選手は飛び出した選手についていかず、自分のペースでレースを進めて金メダルをとったんです。同じようなレース展開になったのですが、結果としては対照的になったなぁと(笑)」。悔しさも残る銀メダルとなりました。

世界クロカン、世界大学クロカンでも日本代表に。「クロカンでは全く歯が立たなかったですね。特に世界クロカンではシニアのカテゴリーで、レベルの高い選手がそろっていました。出るだけで、何しに来たのか……。勝負にならなかったです。印象に残っているのはポーランドで行われた世界クロカンですね。気温がマイナス15度くらいで、コース上に雪が積もっていて、雪山を走るような滑りやすいコースでした。みんな転んでましたね(笑)。それでも速い人は速かったです!」。日本とは全く違うクロカンレースに驚いたそうです。

「4年間、同期、先輩、後輩に恵まれて、助けられました。キャプテンをやらせてもらってはいたのですが、同期がみんなしっかりしていたので、みんなでチームを作った印象です。周りに恵まれましたし、立命にいってよかったと思える4年間でした」と仲間に感謝の気持ちが尽きない4years.となりました。

国際千葉駅伝では日本学生選抜チームで出場し、世界の強豪を破って優勝メンバーに!

初めて靴ひもがほどけてしまったアジア大会

大学卒業後は第一生命グループに入社しました。2017年には初マラソンの大阪国際女子マラソンで2時間26分19秒をマーク。「マラソンのことはよくわからないですが、練習はしっかりしていたので、まず頑張ろうと。『マラソンってどんなものか』という感じで走りました。最初10km過ぎでキツくなってきたのですが、トレーナーからのアドバイスを思い出しました」

トレーナーさんからは「変なところでキツくなったりするけど、そこで引かないで我慢してたらキツさが消えるから。前半でキツくなっても変に焦らないように」と言われていたそうです。「その通りで、呼吸も上がってきて大丈夫かなと思ったのですが、途中でふと楽になって、またキツくなって、レースの中でも波みたいなものがあって、しのぎながら走っていました。30km過ぎて1人になり苦しい場面もあったのですが、なんとか粘り切って目標くらいのタイムで走れたと思います」

2018年の名古屋ウィメンズマラソンでは2時間27分40秒で6位に。その年にジャカルタで開催されたアジア大会では、マラソン日本代表に選出されました。

アジア大会は「自分のマラソンレースでもワースト3に入るくらいの走りでした。足の故障もあって、思うように練習できていなかったんです。走れないわけではないですが、足に不安がある状態でした。また、この時はチップを靴ひもにつけるレースだったのですが、レース中にひもがほどけてしまったんです。『何やってんだ』というレースをしてしまいました。ひもがほどけたのは陸上人生でその時だけです。日本代表として来たのに情けないなという感じでしたね」。本来の力を発揮できず、9位という結果となりました。

第一生命グループでは若手選手と積極的にコミュニケーションも(後列右から3番目が田中さん)

今年3月に現役を引退、新たなフィールドで現状打破

第一生命グループから資生堂に移籍し、その後は自身で走っていた期間を経て、2021年8月、再び第一生命グループに入社しました。「若い選手が多かったので、自分の競技を頑張りながら『自分がいることでプラスになれればいいな』と思っていました。年は離れていましたが、なるべくフラットな関係で、年下の選手とも仲良く話せるようになったかなと自分では思います」

そして、2023年3月の東京マラソンが現役引退レースとなりました。

「現役時代、モチベーションの保ち方をよく聞かれました。自分の中で、今まで陸上をやめたいと思ったこともなくて、普通に競技生活を楽しんでいたんだと思います。本当に陸上をやっているのが一番楽しい時間でした。つらいこともあるんですけど、それが自分の時間を占めていいましたし、陸上なくして今の自分はないです。長かったような短かったような、でも長かったのかな……あっという間でした」

今年3月で現役を引退。現在は楽しみながら走られているそうです

現役を引退して半年が経った現在の田中さん。「今までやってきたことを生かして、人のためにできることがあればと思います。新しい環境で、その会社で役に立てるようにしていきたいですね。今でも軽く走って、自重でできる筋トレもしています。健康維持はしたいので(笑)。ただ、現役のときは1km4分ペースは楽に走れたのですが、今はキツいです。ありがたいことにゲストランナーのお仕事やランニングイベントのお誘いもいただいているので、競技レベルではないですが、楽しく走っていきたいですね」。新たなフィールドで現状打破されています!

M高史の陸上まるかじり

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