陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

筑波大OG杉山由美子さん 高校で学んだ「走る楽しさ」、白鷗大足利で指導する原点に

筑波大OGの杉山由美子さん(旧姓・岡本さん、後列右端、すべて本人提供)

今週の「M高史の陸上まるかじり」は杉山由美子さん(旧姓・岡本さん)のお話です。宮城県の築館女子高校(現・築館高校)時代にはインターハイ3000mで優勝。筑波大学時代は日本インカレ1500m優勝、ユニバーシアード日本代表、全日本大学女子駅伝では筑波大学初優勝時の主将を務めました。実業団を経て、現在は白鷗大足利高校(栃木)で指導にあたっています。

姉・久美子さんに「追いつきたい」思いで

1978年に茨城県水戸市で生まれ、親御さんの転勤の関係で引っ越しが続き、中学1年生の夏休みに栃木県から宮城県の築館中学に転校しました。

「二つ年上の姉の影響で中学1年の時に陸上を始めました。当時、800mは2分18秒が全中の標準記録だったのですが、2分19秒で1秒だけ足りなくて出場できませんでした」。全国大会にあと一歩届かなった悔しさがあり、高校でも陸上を頑張ろうと思ったといいます。

中学時代、全中の800m標準記録にはあと1秒届きませんでした(12番)

高校は自宅から近く姉の久美子さんも通っていた築館女子高校へ。元日本記録保持者の今野美加代先生(旧姓・井上さん)のご指導のもと記録を伸ばしていきました。

「姉が800mでインターハイ2位になったのですが、その時に姉の付き添いをしていて『姉が2番になったからには自分が3年生になった時には優勝したい』と思っていました。姉が全国で戦っている姿は憧れに近く、感動しましたし、自分もそうなりたいと影響されましたね。スピードがあまり得意ではなかったので、3000mで全国トップを狙って頑張ろうと先生と話し合いました」。そして、高校3年生の時には有言実行。見事にインターハイ3000mで優勝を飾りました。

高校3年のインターハイでは3000mで優勝を果たしました(ピンクのユニホーム)

「先生も走ることが好きで、私の指導をしながらご自身も楽しみながら走って自分を引っ張ってくれました。全国で勝負できるまで親身になって育ててくれて、第2のお母さんみたいでしたね。長距離はキツい種目だと思いますが、走る楽しさを大事に教えていただきました。そこが一番ありがたかったなと感じています。若いうちに燃え尽きるのではなく、『長い目で見て楽しく』というご指導ですね」と恩師との懐かしい日々を振り返ります。

加えて、憧れでもあり目標でもあった姉・久美子さんの存在も大きかったそうです。「常にライバル心を持っていました。姉も『妹に負けたくない』と思っていたでしょうし、私も『姉に追いつきたい』という思いでした。インターハイで優勝した時は姉も喜んでくれました。姉は常に前を走ってくれて自分を引っ張ってくれる存在で、必死に追いかけていました」

今では姉妹そろって指導者の道に進んでいます。「県は違いますが、姉は別の県立高校で指導をしています。春に一緒に合宿をすることもあり、インターハイに向けて選手たちに『この合宿を乗り越えたらインターハイに行けるよ』と声をかけています。今度は指導者の立場でインターハイで勝負できる選手を育てたいね、と話をしています」

姉の久美子さんを追いかけ、恩師にも恵まれた高校時代でした(表彰台真ん中)

筑波大学では個人でも駅伝でも日本一に

高校卒業後は筑波大学へ。「入学してから環境の変化に慣れず、けがも続いて全く走れない時もありました。大学1年生の時は駅伝メンバーからも外れて悔しい思いもしました。2年生から気持ちを立て直して、姉や一つ上の先輩の菅原美和さんが声をかけてくださいました」。最初は結果がなかなか出なかったものの、徐々に走れるようになってきました。

大学3年で調子を取り戻し、最終学年では主将を務めました。この年はユニバーシアード日本代表としてハーフマラソン4位。日本インカレは1500mで優勝を果たしました。個人としてチームを引っ張るだけでなく、前年5位だった全日本大学女子駅伝では、悲願の初優勝を飾ったのでした。

筑波大学4年生の時には日本インカレ1500mで優勝(表彰台真ん中)

「先輩の思いを引き継いで優勝できたので、本当に感動しましたね。一つ下に山中美和子さん(現・ダイハツ女子陸上競技部監督)がいて、お互いに練習から切磋琢磨(せっさたくま)していました。2位の城西大学と6秒差での優勝ということで、ひやひやでしたね(笑)。この年は朝練、本練習とまとまって練習することで、気持ちを一つに、いい流れが作れていたと思います。高校では個人として全国を取ることができたので、大学は駅伝で勝負したいと思っていました。姉とかぶっていた時、一緒に結果を出したかったですが(笑)」

当時、他大学で競い合っていた選手とは今でもつながりがあります。「ユニバーシアードでは赤羽有紀子さんや加納由理さんと一緒でした。赤羽さんとは今も指導者としてつながっていて、仲良くさせてもらってます。加納さんも記事などを見て刺激を受けています」

全日本大学女子駅伝では初優勝を飾りました(左から2番目)

廃部、引退、そして現役復帰

筑波大学卒業後は実業団の営団地下鉄に進みました。「実業団に入って影響を受けたのは小幡佳代子さんでした。大阪国際女子マラソンで活躍されていた姿を見て憧れました」。ご自身も世界クロカンに日本代表として出場しましたが、1年ほどで営団地下鉄が廃部に。「残念だったのは小幡さんと別々のチームになってしまったことですが、今でも小幡さんとは交流させてもらってます」

その後は、あさひ銀行に移籍しました。先輩の田中めぐみさん(現姓・大島さん、現・新潟医療福祉大学陸上競技部女子長距離コーチ)と一緒に練習させてもらうこともありました。「駅伝では襷(たすき)をつなぐ機会もありました。今では指導者の立場でお会いすることもありますね」

あさひ銀行時代、全日本実業団女子駅伝の1区に出場(4番)

あさひ銀行では3年ほど競技を続けていましたが、記録も伸び悩んで一度は選手を引退。銀行員として働きました。その後、約1年間のブランクを経て現役に復帰しました。「トラックや駅伝はやっていましたが、マラソンはやっていなかったので、そこが自分の中ですごくモヤモヤしていたんです。もう少し走りたいと思っていたところ、当時、積水化学で監督をされていた深山文夫さん(現・ユニバーサルエンターテインメントアスリートクラブ監督)に声をかけていただきました」

「当時、休む前は気持ちもいっぱいいっぱいでした。走れることのありがたみ、楽しさを忘れてしまっていたこともありました。休養して気持ちもリセットされて、もう一度走り出した時に『やっぱり走るの楽しいな』と思うことができました。休んだことで『強くなりたい』『マラソンをやりたい』と原点に戻ることができました」

東京国際女子マラソンでは2時間32分21秒で9位(日本人3位)に入るなど、念願のマラソンにも挑戦。積水化学で3年ほど競技に打ち込んで現役を引退し、28歳から教員の道へ進みました。

「選手目線」に合わせたことで、結果が出始めた

2008年に白鷗大足利高校へ赴任し15年になり、陸上競技部の顧問をされています。

「最初は自分がやっていた練習などを取り入れていましたが、うまくいかず、選手の目線に合わせていったところ徐々に結果が出始めていきました」。男子が全国高校駅伝に出場した姿に女子も刺激を受け、6年目となった2014年に都大路初出場を決めました。「すごくうれしかったですね。自分もできなかったことですし、本人たちもそれを目標にしていました。指導者としての全国は簡単な道ではなくて、大変でしたね」。都大路では全国の強豪校に果敢に挑んで13位。以前、4years.で取材させていただいた室伏杏花里さんは、初出場時のメンバーです。

埼玉医科大AC・室伏杏花里選手 東洋大で杜の都入賞、初のクイーンズを経てエースへ
2014年には白鷗大足利高校(女子)が全国高校駅伝初出場を決めました

その後は産休などで指導の現場を一時的に離れることもありましたが、チームは6年連続で全国高校駅伝出場を果たしました。 

現在は10歳と8歳のお子さんもいて、多忙な日々を送られています。今年度は男女とも関東高校駅伝に出場。白鷗大足利高校卒業生の上村純也コーチも指導に加わっています。

「すぐに結果を求めるのではなく、走る楽しさを伝えながら、将来的に大学や実業団で花が開くように、選手を育てていけたらと思います」。ご自身の高校時代を振り返りながら「走る楽しさ」を選手の皆さんに伝え続けています。

白鷗大足利高校さんへ取材に伺った日、練習にも参加させていただきました

M高史の陸上まるかじり

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