大学サッカー

連載:監督として生きる

教えるのは人としての力 流経大サッカー・中野雄二監督(下)

自分自身を「200人のおやじ」と言う中野監督

昨シーズンを振り返ると、流通経済大サッカー部はリーグ8位で、2連覇のかかっていたインカレには出場すらできなかった。中野雄二監督(56)は言う。「去年の4年生にあえてキツいことを言うと、20年の歴史の中でいちばんダメでした。僕が来たときの学生の方がもっとひどかったけど、最後はまとまろうとした。悪いなりに頑張った学年でした。でも去年の4年生は、そういう雰囲気にならないまま終わってしまいました」
連載「監督として生きる」第4弾の最終回です。

前回の記事「30人から200人規模に」はこちら

高い授業の出席率、ほぼ留年もなし

中野監督は1998年に就任して以降、「人としての成長」を指導の第一に掲げてきた。どんなにサッカーがうまくても、行動に問題のある選手はピッチに出させなかった。その意味で、昨年の4年生は一人ひとりの意識の差が最後まで埋まらなかったという。
サッカー部は流経大スポーツ部全体の中でいちばん授業の出席率が高く、各学年50人程度の学生がいる中で、留年する選手は学年に1人いるかどうか。「大学の中でもサッカー部はやるべきことをやっているので、教職員もみんな応援してくれてます」。中野監督は自信を持って話す。

「流経大は人を集めてプロするために授業も出ずにサッカーしてるんでしょ、と言われることもありますけど、そんなことはないです。『流経大に行けばプロになれる』と勘違いしてる学生も、たまにいます。だから僕は1年生が入学するときにこう話してます。『ここはプロ養成所ではないですよ。人として成長できるからサッカーの力が開花するんですよ』って」

中野監督は学生たちに、ボランティアへの参加を呼びかけている。寮には年に4回献血バスが訪れ、できる範囲で災害復興支援にも行かせる。2015年の関東・東北豪雨で関東平野東部を流れる鬼怒川が決壊したときは、毎日100人単位の選手を派遣。翌日の試合に出場する選手も泥だらけの家を洗った。数年前、大学周辺が大雪に見舞われたときは、練習を寮の近所の雪下ろしに切り替えた。きっかけは監督の指示だとしても、誰か一人でもスポーツをしている自分が人の役に立てることを見いだしてくれたら。中野監督は一貫して「人としての成長」を選手たちに求めている。

大学スポーツは教育のため

そんなサッカー部の姿に触れ、周辺住人たちが「まちの応援団 流経大サッカー部サポーター会」を結成した。流経大の周りにある「俺たちの誇り」と記された流経大サッカー部ののぼりは、そのメンバーたちがつくったものだ。メンバーの多くは自分の子どもたちが通っているわけでも、元々サッカーに興味を持っていたわけでもない。それでも週末には試合の応援に来てくれ、控えの部員たちとともに選手の背中を押してくれる。「大学のチームで、こんなに地域と密着してるチームはほかにない」と、中野監督も自負している。

寮の近所には、いたるところにサッカー部を応援するのぼりが立てられている

「仮にプロになることが『成功』だとしても、だいたいみんな30~35歳で引退です。そのあと、どうやって生きていくか。自分ために一生懸命やるだけではダメなんですよ。人と向き合い、人の中で生かされていることを、僕は学生たちを預かる4年間で伝えるようにしています。そういうことを理解できる学生が多い年は、勝ってるんですよ」

中野監督は言う。「大学スポーツは教育のため。僕が教えるのはサッカーじゃなくて、人間としての力。だから『なんちゃって指導者』なんですよ」

流経大は「闘将 中野雄二」とともにある

山村和也、比嘉祐介、増田卓也のロンドンオリンピック世代が活躍した11年に三人の垂れ幕を作成した際、一緒に中野監督の垂れ幕もできた。それがいま、流経大の試合で掲げられている。中野監督は自分の垂れ幕に照れくささを感じつつ、どこか誇らしげだった。

「全寮制で預かっている以上、僕は学生200人のおやじだと思ってます。できがよくても悪くても、我が子を見放せないじゃないですか。いまでも衝突はしますよ。でも、そんなもんじゃないですかね」

中野監督が流経大サッカー部の監督に就任して20年を超えた。たくさんの“息子たち”が、羽ばたいていった。

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