水泳

連載:私の4years.

勝利より記録、チャラい男に 田坂友暁・4

「いま振り返れば情けない2年間だった」と田坂さんは当時を振り返る(左から2人目が田坂さん)

全国には20万人の大学生アスリートがいます。彼ら、彼女らは周りで支えてくれる人と力を合わせ、思い思いの努力を重ねています。人知れずそんな4年間をすごした方々に、当時を振り返っていただく「私の4years.」。元日本大学水泳部の田坂友暁さん(38)の青春、シリーズ4回目です。入学してすぐの腰痛発症をきっかけにやる気を失い、恩師の一喝で目が覚めた田坂さん。2年生のときにシドニーオリンピックの選考会を迎えました。

記録こそすべて

私は高校1年のときに初めて日本選手権・アトランタオリンピック選考会に出場した。大学2年で二度目のオリンピック選考会だからといって、私はまだ日本ランキングの二桁台の選手だったし、代表入りなど望むべくもない。

日本短水路選手権では3位に入ったが、本当の勝負である長水路では、当時バタフライのトップに君臨していた山本貴司さん(現・近畿大学水上競技部監督)に勝つなど、夢のまた夢。私がやることは、ただひとつ。全力を尽くすだけ。結果的に100mバタフライで初めて日本選手権の決勝に残り、7位。タイムはたしか自己ベストだったと思う。

いま振り返ると、私の胸にあったのはある種の満足感だったように思う。それは、自己ベストが出たからだ。実は、私は勝負というものにまったく興味がなかった。自分と向き合い、自分を磨き、自分の能力を上げ、過去の自分を上回り、自分の記録を更新する。それが私の水泳に対するすべてであった。言ってしまえば他人なんかどうでもよかった。

幼いころから“日本一”という目標は掲げていた。しかしそれは、ライバルたちに勝って日本一になることではなく、日本で一番の記録を出すことを意味していた。両者には大きな違いがある。前者の考え方だと、いくらタイムがよくても、負けてしまっては満足できないだろう。後者だと、負けたとしても、自己ベストが更新できたとするならば、ある程度の満足感を得てしまう。自己ベストを出すことは、日本一の記録に少しでも近づいたことになるからだ。

国の代表として活躍するアスリートのほとんどは、前者の考え方を少なからず持っている。確かに、私は恩師の一喝で目が覚めた。だがその方向性は勝負ではなく、記録を追究するという方向に向かったのである。

ある程度の努力で、ある程度の満足感

では勝負ではなく、記録を最重要視する私はどこへ向かっていったか。この年のインカレでは100mバタフライ、200mバタフライともに決勝には残ったが、表彰台には上がれず。100mはベストではなかったが、200mでは大きく自己ベストを更新。メドレーリレーでは2年連続で3位に入った。さらに翌年の日本選手権では、100mバタフライで6位。確か自己ベストだったように記憶している。そして夏のインカレでは、100mバタフライで自己ベストをさらに更新し、3位。メドレーリレーでは表彰台に上がれなかったが、メンバーとして出場していた。

これを聞いた方は「それなりに成長しているではないか」と思うかもしれない。だが一番遊んでいたのも、この2年間だった。髪の毛を金髪にしてみたり、夜な夜なカラオケに繰り出したり。人生で一番チャラチャラしていた時期だった。

その理由はハッキリしている。結果を見ればまだまだ未熟なのに、細かく自己ベストを更新していたために“ある程度の満足感”を得てしまっていた。だから死ぬ気の努力を怠った。ある程度の努力しかしなかったのだ。このある程度の努力で得られるものは、ある程度の結果と、ある程度の満足感だけ。当時の私は、それでよしとしてしまっていたのである。

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