神戸から北の大地に渡ったインターハイ王者 北大陸上部・高橋佑輔(上)
連載「いけ!! 理系アスリート」の第12弾は、北海道大学理学部化学科2年で陸上部の高橋佑輔です。高橋は兵庫県立兵庫高校3年の夏にインターハイの男子800mで優勝しました。インターハイのあった山形にも参考書を持っていき、移動中に勉強。国立一本で受験し、後期で北大理学部に合格します。2回の連載の前編は、北大合格までの話です。
ふるさとでのレースで攻めた
高橋は神戸市西区の出身だ。今シーズンの初戦に、実家に近いユニバー記念競技場で開かれた兵庫リレーカーニバルを選んだ。スタートして100mで先頭に立ち、集団を引っ張った。上半身がピンと伸びたきれいなフォーム。緑に白のラインのユニフォームがトップのまま、残り2周に入った。しかしバックストレートで失速。5番手で残り1周へ。ラスト勝負で伸びず、3分48秒29で9位。学生では4番目だった。
「最初から出たんですけど、引っ張るような練習はしてなくて……。ラストがたれてしまいました。45秒は切るつもりだったんですけどね」。文字にすると苦りきった表情で話したように受け取れるが、高橋にとっては地元で積極的にいけた爽快感もあったのだろう、いい笑顔で語ってくれた。
第一は勉強、と兵庫高校へ
小学校のころは少年団で野球をしていた。冬の走り込みで、ほかの子たちより少しだけ速かった。中学に進んで、ほかにとくにやりたいこともなく、陸上部に入った。中1のとき、初めて走った競技場が、ユニバー記念競技場だった。でっかい競技場が、うれしかった。中3のとき、神戸市総体の1500mで3位に入った。それがきっかけで、陸上の強い高校から誘いの声がかかるようになった。それを聞いても、何とも思わなかった。「陸上を続けるつもりはあったんですけど、第一は勉強って感じでした」。進学校の兵庫県立兵庫高へと進んだ。
中学のころから、理科が一番の得意科目だった。理科全般が好きで、当時はとくに気象に興味があった。ただ、兵庫高では気象の分野を含む地学を選択できず、物理と化学を選んだ。これがまた、楽しかった。「化学なんですけど、有機の反応ってあいまいに変化するんじゃなくて、ちゃんと法則があって、それに従って反応していくのが面白かったんです」
兵庫高は自由な校風で、それは陸上部も同じだった。「その日の調子に合わせて練習の量を減らすのもできたんで、ある程度は自分の思い通りにできたかなという気がします」。ただ、練習環境に恵まれていたとは言えなかった。グラウンドが狭すぎて、近くの公園を走った。もちろんトラックはない。「山ですし、すごい坂があるとこでやってたんで。慣れたら走れるんですけど、最初は練習についていけなかったです。だいぶしんどかったです」
高校1年がターニングポイント
悪戦苦闘するうち、ほぼ横ばいだった陸上人生の「成り上がりグラフ」が、一気に右肩上がりになった。高1の7月にあった兵庫県選手権で初めて、1500mで4分を切った。中学時代のベストと比べると、15秒の更新だった。8月の県ユース(高1のみ)で800mは2位、1500mは優勝。県の学年トップに躍り出た。勢いは本物で、9月の近畿ユースの800mで優勝、1500mで2位に入った。「中学のころは県大会に出るのもやっとだったのに、いきなり近畿で優勝するところまできたので、ビックリしました。次は全国で優勝したいって、そのとき最初に思いました」。これぞターニングポイントである。
ただ、前述のように練習から手応えがあったわけではない。「練習ではついていけないのに、試合では走れた」と、いまでも不思議そうに振り返る。確かに中学のころから本番に強いところがあったという。「練習を不真面目にやってるとか、集中せずにやってるとかじゃないんですけど、なんかここ一番というときに集中してタイムが出せるってのが多かったんです」
おおっ。食いつくように畳みかけて質問した。それは普段、勉強にグッと集中するのと共通点があるんですかね? 大人の深みのない質問に、高橋佑輔は調子を合わせたりはしない。「いやあ、それはちょっと分かんないですね」。聞いたこっちが恥ずかしくなった。
練習に臨む意識が高まった
全国で勝ちたいと思うようになってから、練習に臨む意識が高まった。スピード練習やダッシュのときは、ラストスパートをイメージするようになった。一つひとつ、一本一本に、より集中するようになった。
高2の夏、初めてインターハイに出た。舞台は岡山。初めての全国大会で緊張して体が固まり、800m、1500mとも決勝に進めなかった。全国の壁の高さを感じるとともに、自分の力を出しきれなかったのが悔しかった。
一つひとつ課題をクリアしていこうと思った。中でも、周りに乗せられて緊張してしまうのが、大きな問題だった。「これはもう、そうならなかったという結果が大事だと思いました。それで、その秋の日本ユースでしっかり集中して自分のレースができて、それ以降は自分の強みを生かすレースができるようになったと思います」。たいした高校生だ。
あー、優勝したんだな
そして迎えた高3夏の山形インターハイ。前年とは違い、800m、1500mとも優勝候補として臨んだ。
まず本命の1500m。決勝の最後の直線で、高橋はトップをいく外国人留学生を外から抜きにかかった。その瞬間、まさかのインコースから半澤黎斗(学法石川~早大)が飛び出した。高橋は二人に置いていかれ、3位。それでも3分45秒10のタイムは高校歴代3位、兵庫県の高校新記録だった。
「1500で勝ちたい気持ちが強かったんで、悔しかったです。でもやりきったというか、前年みたいに自分の実力を出せなかったわけじゃないんで、後悔はないというか。インターハイで残すものは残せたという気持ちで800に挑んだんで、その点においてはリラックスできてたと思います」
その2日後の800m決勝。高橋は1周目、最後方にいた。徐々に上がっていき、残り200mで先頭に立った。逃げにかかる高橋。2人が追ってくる。ギリギリで逃げきった。「あと10m長かったら負けてました」と苦笑いで振り返る。ついに手にした全国優勝。不思議と実感はなく、ようやく表彰式で兵庫高校の校旗が掲揚されるとき、「あー、優勝したんだな」と思ったそうだ。陸上部以外の仲間も「おめでとう」と言ってくれたのが、うれしかった。
京大の受験に失敗、後期で北大へ
残すは11月の県高校駅伝だけとなり、一気に受験モードに入った。それでも睡眠時間は大事にした。「頭が動かなかったら、意味ないじゃないですか。勉強時間も大事だけど、動かすのは頭だから、休ませないとなっていうので、睡眠時間は多めにしました」。やはり、たいした高校生だ。
そして本番。国立一本で前期は京大工学部地球工学科、後期は北大理学部化学科に願書を出した。
京大の合格発表の2日後が後期の北大の入試だ。合格発表の3時間後の神戸空港からのフライトを予約してあった。ネットで確認すると、高橋の受験番号はなかった。慌ただしく準備をして、北の大地へ向かった。「ショックでしたけど、とにかく浪人するのは嫌だったんで、無理やりでも気持ちを切り替えました」。北大の受験科目は大得意の理科だけ。手応え十分で神戸に帰ってきた。そして合格。落ち着かない日々が終わった。
環境じゃない、結局は自分次第
受験生のときに癒やしを求めたのがアニメだ。好きなジャンルを尋ねると、「いろいろありますけど、日常系が好きですね」。札幌でもグッズを買いに行くそうで、キーホルダーやマグカップを持っている。
大学で陸上を続ける環境について考えたことはあったのかと聞いてみた。
「高校時代に学校のグラウンドも使えないような環境でも、全国で活躍できるぐらいには持っていけました。それで、結局は自分次第なんじゃないかと思いました」
環境どうこうじゃない。走るのは自分だ。見上げた高校生が北の大地へと渡った。