アイスホッケー

連載:4years.のつづき

「選手としてならノー」アイスホッケー界に自分ができる最大の貢献を 本野亮介(下)

試合中はリンクサイド、客席と、ひっきりなしに動き回る。アイスホッケーに対して、選手でないからこそできる貢献を目指す

今回の連載「4years.のつづき」は、アイスホッケーのトップリーグ「アジアリーグ」に今季から新しく加わった「横浜グリッツ」にて、試合運営のリーダーを任されている本野亮介さん(30)です。明治大時代にトップ選手として卒業後も期待されていましたが、ある思いから一般就職を選びました。2回連載の後編は、百貨店でアシスタントバイヤーとして働きながら、グリッツで試合運営の責任者を担う現在についてです。

アイスホッケーへの思いは誰にも負けない

大学で活躍した選手を含め、日本のトッププレーヤーが集まるアイスホッケーのアジアリーグ。今季は日本の5チームが「ジャパンカップ」を行っているが、11戦全敗(11月21日現在)ながらリーグ最大の話題を呼んでいるのが、今季から加盟した横浜グリッツだ。プロジェクションマッピングやチアの応援を導入し、新しいファンを獲得。ファンにエンターテインメントを提供するオペレーションチームのリーダーが、本野亮介だ。2013年まで、明治のディフェンスとして関東リーグで活躍。アジアリーグの複数チームの誘いを断って百貨店に就職し、現在はアシスタントバイヤー。並行してグリッツでも試合運営の責任者を担っている。

競技がさほど盛んではない群馬でアイスホッケーと出会った本野。充実した環境を求めて、中学は栃木の日光、さらに高校は北海道の強豪・清水高校に進学した。大学は、高校プレーヤーのトップが集まる明治大へ。スピードと運動量に優れたディフェンスマンとして、2年生の時にはユニバーシアード代表に選ばれ、アジアリーグの(当時)4チームのうち3チームから誘われた。しかし、本野はそれを全て断り、百貨店に就職。ちなみに、本野とともに戦ったユニバ代表のメンバーのうち18人がアジアリーグに進んでいる。

充実していた明治大での4年間。だからこそ、社会人になる時に「新しい世界」を求めた(写真は本人提供)

「僕、ホントにアイスホッケーが大好きなんですよ。このスポーツを世に広めたい気持ちは、誰にも負けないくらいのものを持っていると、自分では思っています」。にもかかわらず、本野はどうしてトップリーグに進まなかったのか。

「今の日本で、人生において大きなトライができるのは、学校を出て就職する時だと思います。大学まで15年もアイスホッケーをやってきて、卒業後もホッケーの世界に進んでしまったら、たぶんそこから20年くらいはホッケーの中の人としか付き合えない。長い人生を考えると、それってすごく損なことじゃないかと思ったんです」

小学校を出て、中学、高校、大学と、その度に新しい土地で新しい世界に飛び込んだ。「社会人になる」という人生の新しいスタートと、ずっと歩んできた道の延長にある「アジアリーグにいく」ことが、どうしてもイコールで結びつかなかった。

「お客様」目線で楽しさを提供、自分の伸びしろを感じた

就職した百貨店で本野が担当したのは、レディースのデザイナーズブランド。入社して2年間は、ずっと売り場に立ち続けた。「百貨店で働く者にとって、主語は常に、自分ではなくお客様です。お客様にどれだけ満足していただくか。社会人としての自分の考えの軸をつくってもらったと思っています」

シンガポールの支店ではレディースのフロアマネジャーを任された。「今までで一番楽しかった仕事」と言う(写真は本人提供)

16年には1年間のシンガポール勤務を経験。そこで本野はレディースのフロアマネジャーを担当した。「自分の中では、海外で生活するっていうのがけっこうデカかったです。生きていく上で、本当に必要なものはなんだろう……みたいな、それまであまり考えなかったことに向き合ったり」。同じ職場で同じ仕事をしていても、人によって働く目的や就業条件は違う。スポーツとは異なる「組織」を動かす難しさ、やりがい。未知の扉を開け続けることは、本野にとって何より楽しいことだった。

17年にシンガポールから帰国し、念願のバイヤーチームの一員に。アイスホッケーは東京の社会人リーグで、趣味としてプレーする程度だった。そんな本野に、19年に創立したばかりのグリッツから声がかかる。新しいチームで「選手として」アジアリーグでプレーしないかというものだった。

しかし本野の返答は、「選手であればノー」だった。「去年も、ディフェンスの人数が足りないからと、グリッツの練習試合に選手として出たんです。でも、やはり心は動きませんでした。もし自分が新しいチームで何かをできるとしたら、選手よりも運営スタッフとしてお客様に楽しさを提供していく、そっちの方が自分の伸びしろというか、学びの面でも大きいと思ったんです」

明治では、アジアリーグの3チームから入団を打診された。グリッツからのオファーも、当初は「選手として」だった

グリッツは、アイスホッケー以外に収入の軸となる仕事を持ち、双方に全力を傾けることがチーム哲学だ。アイスホッケーを懸命にプレーし、しかし、アイスホッケーだけを懸命にやっているわけではない集団を目指している。スタッフも同様で、本野も平日は百貨店で勤務し、週末はグリッツのスタッフというふたつの顔を持つ。ホームゲームの日は朝に会場に入り、試合が終われば、片付け、反省会をして、リンクを出るのは夜。支給されるのは交通費や必要経費など最低限度だ。それでも横浜にアイスホッケーを根付かせようと、本野を含む約35人のスタッフが、ほかの仕事と両立させながら働いている。

今の役割が日本のアイスホッケーの未来につながる

10月10日に開幕したジャパンカップで、グリッツはいまだ勝ち星なしの11連敗。新チームゆえに選手層が薄く、特にディフェンスの人数が足りていない。本野が選手として登録されれば、おそらく上のセットで出場できるだろう。それでも本野は、「試合を見ていて、自分がやりたくなってしまうとかは全然ありませんね」と言い切る。

「僕が選手としてプレーしたところで、ホッケー界に貢献できることには限界があったでしょう。選手よりも、運営としてホッケーに関わった方が、大きなことができる。自分にとって、今の役割が日本のアイスホッケーに対してできる最大のことなんです。アイスホッケーは、1回見てもらえば魅力が分かると言い続けながら、見せるための努力をしてこなかった。今、僕たちがやっていることが競技の認知度を高めるきっかけになればと思っています」

海外への旅がライフワーク。中東のウズベキスタンで、子どもたちと写真に収まった。ホッケー以外の経験も、本野にとっては大切な時間だ(写真は本人提供)

13年春。大学卒業と同時に本野は一旦、競技から離れた。その選択を否定する声も、なかったわけではない。それでも彼の中で、アイスホッケーへの愛は少しも変わることはなかった。

「僕は百貨店の仕事で、どれだけお客様に喜んでいただけるかを考え続けてきました。それをグリッツで生かしていきたい。このタイミングでこのチームが誕生したことは、自分にとってすごく大きなことです」

かつてアジアリーグは、本野には「輝いて見える場所」ではなかった。それを今、自分の手で、本野は変えようとしている。30代になって、選手ではなくスタッフになって、でも、だからこそできることがあると信じて。

4years.のつづき

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