中央大学の前寮長・羽藤隆成さん 中京高校で指導者に「生徒と一緒に人間力磨きたい」
今回の「M高史の陸上まるかじり」は羽藤隆成(はとう・りゅうせい)さんのお話です。今治北高校から中央大学に進み、4年生の時には寮長も務められました。今年から岐阜県の中京高校で教員となり、陸上競技部のコーチに。指導者としての道を歩み始めました。
羽藤さんとのご縁は、高校時代から
冒頭から個人的なお話で恐縮ですが「M高史の部活訪問」で全国各地の中学、高校、大学へ伺って練習に参加させていただく活動を2018年ごろから行っています。2020年2月には愛媛県の今治北高校へ伺いました。その時、卒業間近の高校3年生だったのが羽藤さんでした。あれから4年以上が経ち、この春、中央大学を卒業。今年4月から中京高校の教員になられたとお聞きし、中京高校にも伺いました。
当時は高校生で、選手としてご一緒させていただきましたが、今度は先生の立場となられて部活訪問でお世話になる。とても感慨深いです。そんな羽藤さんの陸上ストーリーを振り返ります。
インターハイでは吉居大和選手と同じレースに
「元々は運動神経も悪くて、短距離も全然でした。たまたま校内のマラソン大会で一番になれたんです」と小学校時代を語る羽藤さん。中学では陸上部に入部しました。
中学1、2年生の時は「県大会に出るのがやっと」でしたが、今治北高校OBの藤本大地先生が就任し、中学3年になると3000mの記録が8分52秒まで伸びました。「初めて四国大会に出場できましたし、都道府県駅伝では2区を走りました。初めての全国大会で緊張しすぎて覚えていませんが(笑)。有名な選手が多くてレース以外のところも楽しかったです。愛媛県の先輩・鈴木健吾さん(現・富士通)が当時(神奈川)大学4年でアンカーを走られていました」
今治北高校は自宅から通える距離でした。「当時、監督をされていた竹本(英利)先生のご指導のもと、とんとん拍子に記録が伸びていきました。成長に合わせてメニューも組んでいただきました」と1年目から国体や都道府県駅伝に出場しました。
印象に残っているのは高校3年生の夏、沖縄で開催されたインターハイです。「5000mに出場したのですが、周回遅れになりました。のちに大学の同期となる吉居大和(現・トヨタ自動車)にも1周抜かされましたね」。全国の壁を痛感する大会になったそうです。
高校時代の自己ベストは5000m14分11秒49。チームとして都大路は出られなかったものの、愛媛県高校駅伝ではエース区間の1区10kmを任され、29分23秒で走破しています。
ちなみに当時、今治北高校の外部コーチをしていたのが越智康文さんです。越智さんは駒澤大学OBで、M高史が4年生の時の1年生でした。世代でいうと、宇賀地強さん(現・コニカミノルタ陸上競技部監督)、高林祐介さん(現・立教大学男子駅伝監督)、深津卓也さん(現・旭化成陸上部コーチ)、さらには後に日本選手権5000mで優勝を飾る星創太さんが同期。越智さんは1年生ながら箱根駅伝のエントリーメンバー16人に選ばれましたが、4年目にマネージャーに転向して主務となった異色の経歴です。越智さんとのご縁で今治北高校へ伺い、そこで羽藤さんに出会ったのが今につながっています。
「学生時代のベストレース」関東10マイル
中央大学に進んだ羽藤さんでしたが、入学直後の2020年4月はコロナ禍でした。「故障したまま入学して、良いスタートではなかったです。入学式もなかったですし、最初はまとまって練習もなかなかできませんでした」。様々な規制がある中で、大学生活がスタートしました。
1年生のときは故障が続き、試合にもなかなか出られませんでした。デビュー戦は2年生の4月。日本体育大学と中央大学の対校戦、オープンの部に出場されました。サブユニホームではありましたが、試合に出られたことの喜びを感じられたそうです。
「大学では練習量も増え、細かいケガが多くて走りも崩れていき、思うような走りができなかったです。ただ、もうダメなのかと思った時も、短期的なスパンで見るとダメでも、長期的なスパンで見ると少しずつできていたので、『これを積み重ねていくしかない』と見失わず、諦めずにコツコツ続けていきました。同級生も吉居(大和)、中野(翔太)、湯浅(仁)とすごいメンバーがそろっていました。個性派の学年で、みんな我が道を行く感じでしたね(笑)」
「学生時代のベストレース」と振り返られたのが、大学3年の12月に行われた関東10マイル。中央大学や順天堂大学など、箱根駅伝出場選手も参加するロードレースです。羽藤さんは48分42秒で優勝を飾りました。
「大学に入って初めての優勝でしたし、ハーフマラソンまではいきませんが、10マイルという距離で走れたのはうれしかったですね。順大と中大が結構出場していて、風が強い中でのレースでしたが、交互に引っ張り合って、残り8kmから自分で行って勝つことができました」。ただ、強い同級生や先輩後輩に囲まれ、駅伝メンバー入りには届きませんでした。
とにかく必死だった4年間
4年生になると、羽藤さんは寮長を任されました。「3年間、走りで結果も出ず、『チームに何らかの形で恩返ししないと』と思っていました。(寮長は)周りから適性があると言われて推薦されましたし、歴代の寮長だった先輩を見ていて、寮長の業務は自分でもなんとなく合っているかなと感じていました」
寮長の役割ついて伺ったところ「基本的に寮の運営です。環境整備、分担しての掃除、夜の点呼。臨機応変に対応します。例えば寮内で壊れているものを確認したり、雑用的なものやお金の管理もあったりします」と教えてくださいました。
「私たちの同期も強かったですし、後輩たちも勢いがあったので『負けてられない』という気持ちで迎えたラストイヤーは、自分の取り組みに足りない部分があったと思います。周りがどんどん結果を出して、焦りもありました。時間だけがすぎてしまいました」。駅伝メンバーには入ることはできなかった羽藤さんですが、最上級生として応援し、寮長として主将と副将をサポート。メンバーに入れなかった部員のまとめ役をするなど、チームを支えました。
どんな4年間でしたか? という質問には「目の前のことしか見えていなくて、その時その時でとにかく必死でした。今になってみると、もっと長期的な視野で見えていたら、また変わっていたのかなと思います。ただ、すごい経験をさせていただきましたし、充実した4年間でした」と答えてくださいました。
卒業前には地元の愛媛マラソンに招待選手として出場。「この時は故障を抱えてのレースでした。地元での引退レースでしたし、欠場というわけにはいかず、競技生活の区切りとして挑みました。地元ということで、たくさん応援していただいてましたし、最初だけでもしっかり走るところを見てもらいたいとスタートしましたが、15kmくらいから激痛で……。歩いたり、止まったりしながら帰ってきました」。地元の応援を受け、痛みに耐えながらも2時間58分04秒で完走。中央大学のユニホームでのラストレースとなりました。
現在も寮に住み「学生時代と変わらないですね(笑)」
教員や指導者の道を目指していたものの、当初は社会人経験を積んでから教員になりたいと考えていた羽藤さん。就職する予定でしたが、ご縁があって今年の4月から中京高校に赴任することとなりました。現在は陸上部のコーチとして、社会科の教員として、1年生の担任として、慌ただしい毎日を送っています。
「過去に全国高校駅伝で2度優勝している名門ですし、新卒で指導経験もない自分が大丈夫かと思ったこともありましたが、ご縁とタイミングですね。4月から毎日バタバタですが、それ以上にやりがいを感じています」
指導法は久保田晃弘監督のもと、勉強の日々です。また、陸上部をはじめ運動部の生徒さんたちが生活している寮に羽藤さんも住み、寮監をしています。「朝練で生徒たちと一緒に走って、授業をして、放課後にまた練習があって、夜は寮の点呼があって……。学生時代とやっていることが変わらないですね(笑)。でも、学生時代に経験したことが指導者になってからも生きているので、やっていてよかったと思います」
指導者としては「もちろん、結果を出したいですが、高校生の指導なので『心の成長』も大事にしていきたいです。自分自身もこれから勉強して、生徒と一緒に人間力を磨きたいです」と、謙虚に、誠実にお話しされました。
昨年、全国高校駅伝に出場した男子は、長距離部員が現在7人。駅伝メンバーを組めるギリギリの人数で、女子長距離部員も7人の少人数です。
最寄りの瑞浪駅から1.5km圏内に寮と学校、グラウンドがあり、河川敷のコースや朝練で走る公園、2024年4月に移転した完全個室の一人部屋の寮には広大なトレーニングルームも完備され、強くなるための環境が整っています。羽藤さんの表情からは、充実ぶりが伝わってきます。
部活訪問で伺った時に高校生だった選手が大学を経て、今度は指導者として駆け出した姿を見ていると、なんだか親戚気分でうれしくなりますし、応援したくなりますね。羽藤さんの新たな挑戦に、現状打破!