陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

東洋大であと1歩で箱根を走れなかった齋藤真也さん 地元・山形県に走りで恩返し!

東洋大OBの齋藤真也さん。卒業後は天童市役所に勤めながら走り続けています(写真提供全て本人)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は齋藤真也さん(29)のお話です。東洋大学では1500mで日本選手権に出場。出雲駅伝や箱根駅伝のエントリーメンバーにも入りました。大学卒業後は山形県天童市役所に勤めながら走り続けています。

山形県は駅伝熱がアツい!

山形県出身の齋藤真也さん。走ること好きで負けず嫌い。小学校のマラソン大会でも絶対負けたくないと毎日走っていたそうです。

中学では野球部に所属しながら3000m9分00秒と、長距離でもポテンシャルを発揮して都道府県駅伝にも出場しました。「野球部の練習が厳しくて、体力もついたんだと思います(笑)。中学3年で出場した都道府県駅伝では1区で柏原竜ニさんが区間賞でした。目の前で見ることができて『これが全国大会か!』と緊張しましたね」。第1中継所に1番で襷(たすき)を運んできた柏原さんは、のちに東洋大学で先輩になることに。

都道府県駅伝で「陸上っていいな」と思い高校から本格的に陸上を始めました。山形中央高校に入学した齋藤さんでしたが「都道府県駅伝の監督が山形中央の監督だったのですが、自分が入学したと同時に監督は異動されてしまいまして……」。入学早々、短距離と投擲の指導者のみで、長距離の指導者不在という環境で高校生活がスタートしました。

そんな逆風に見える中でも1年生の時は国体少年B3000mで8位に!「練習メニューは先輩が考えてくれましたし、卒業生の方が練習を引っ張りにきてくださったりしました。先輩方の助け、存在は大きかったですね!」。山形県ではOBや社会人ランナーの方が高校生と走る伝統があるそうです。駅伝熱がアツい土地でもあり、山形縦断駅伝は県全体がお祭りのように盛り上がるそうです。

山形中央高校時代の齋藤さん。右は高校時代からのライバル・竹内竜馬選手

3年生では1500mでインターハイに出場も予選落ち。「全国でも持ちタイム5番目くらいだったのですが、緊張もあって本来のパフォーマンスを発揮できず悔しかったですね。ただ出場しただけになってしまいました」

駅伝では東海大山形高校が強く、山形中央高校は都大路には届きませんでした。「東海大山形の同期に竹内竜馬君(現・日立物流)がいて、ライバル視していました。勝ったり負けたり切磋琢磨して、お互い刺激になっていましたね」。実業団でさらに活躍を続ける竹内選手の頑張りは今でも刺激になっているそうです。

その1秒を削りだせ! 東洋大学へ

高校卒業後は東洋大学へ。「同期には田口雅也(現・Honda)、高久龍(現・ヤクルト)、今井憲久、淀川弦太、五郎谷俊(現・コモディイイダ)といったメンバーがいました」とそうそうたる同級生に加えて、入学した時の4年生には柏原竜ニ選手。

さらに1つ上に設楽兄弟(啓太選手=現・日立物流、悠太選手=現・Honda)が活躍。翌年には1つ下の学年に服部勇馬選手(現・トヨタ自動車)も入学してくるというメンバー。名前を聞いただけで思わず鉄紺ファンの皆さんも熱くなってしまうのではないでしょうか(笑)。

「入学した時は、前年度の箱根駅伝で早稲田大学に21秒差で負けたことで、チーム一丸となって王座奪還に燃えていましたね」。『その1秒を削りだせ』という東洋大学を象徴する魂のチームテーマもこの時から掲げられました。

「まさにチーム全員が1秒を削りだす走りで、普段の練習からメンバー選考が始まっていましたね。1、2年生の頃は距離に対応できず、結果も全然出せなかったです」。熾烈なチーム内競争の中、齋藤さんは思うような結果を残すことができませんでした。

科学的アプローチを取り入れ1500mに挑戦

3年生になり、酒井俊幸監督の提案もあり1500mへ挑戦することになりました。「東洋大学では科学的アプローチも取り入れているのですが、遺伝子レベルで自分が持久系かスピード系かチェックすることができ、中距離に適性があるというデータが出たのがきっかけでした」。酒井監督は細かいデータをもとに個別に練習にも対応してくださったそうです。 

3年生のシーズンは関東インカレ1500m5位、日本学生個人選手権5000m2位、日本インカレ1500m2位とスピードを生かして結果にもつながりました。「辛(つら)い時期を乗り越えて自己ベストを出せたのは嬉(うれ)しかったですね」

酒井監督の勧めもあり、スピードを生かしてトラックで活躍をみせました(611番が齋藤さん)

箱根駅伝では山下りの準備をしていたそうですが、往路の3区にエントリー。当日変更で設楽悠太選手と交代し、出番はありませんでした。この年、東洋大学は総合優勝を飾ります。

「走れなかったのは自分の実力不足です。チームは総合優勝して、翌日みんながテレビに出ているのを寮の食堂から観ていました。チームとしての優勝は嬉しかったですが、あと一歩で走れなかったのは悔しかったですね。この悔しさは今でも残っています」。だから社会人になった今も走っているのかもしれないと話されました。

4年生になると1500mで日本選手権に初出場。「初めてスタートラインで足が震えました(笑)。今まで経験してきた全国大会とは違いましたね。別格でした。福島で開催ということで、山形からも近く、家族・親戚も見にきてくれました。いいところを見せたかったですが難しかったですね」

スタートラインで足が震えるほど緊張したという初の日本選手権(329番が齋藤さん)

スピードを生かして目指した駅伝メンバーの座

順調に練習をこなし、出雲駅伝のメンバー入り。5区にエントリーされました。ついに3大駅伝デビュー戦です。ところが、超大型台風接近によりこの年の出雲駅伝は直前で中止となったのでした。「朝8時の段階では開催と言われていて、チームのみんなで『よし、やるぞ』と気合いを高めていたところに中止の連絡でした。落胆しましたし、当時はなかなか気持ちを切り替えられなかったですね」

その後、酒井監督から「箱根で6区を目指してほしい」という言葉もあり、再び山下りの座を射止める挑戦が続きました。「メンバー選考で負けてしまい、エントリーされず、悔しいの一言ですね。箱根に出たくて 優勝したくて東洋大に来たのにという思いでした。選ばれなかった後は気持ちを切り替えてチームのためにサポートしようと思いましたね」

人間的に成長でき貴重な経験とふりかえる東洋大学での4年間でした(前列右から3番目が齋藤さん)

最終学年の箱根駅伝では総合3位。「それまで酒井監督就任後、ずっと優勝か2位しかなかったので、自分たちの代でやってしまったという申し訳なさがありました。いいことも苦しいこともありましたが、人間的に成長でき貴重な経験をさせてもらいました」。とても濃い4年間となりました。

天童市役所で走り続け、後輩の練習もサポート

大学卒業後は山形県天童市役所の職員に。「地元に還元したいという思いがありました。また、後輩の育成やジュニアの指導にも携わりたいと思い、母校の練習を引っ張ったりもしています」

齋藤さんが高校時代に、卒業生や社会人の先輩にサポートしていただいたように、今度は齋藤さんが後輩の皆さんを走って引っ張っていきました。卒業生が現役の高校生を引っ張るという伝統が襷リレーのように受け継がれています。

「私の高校時代も社会人の方や、先輩方に練習を引っ張ってもらっていたので、そういった意味でもやれることをやっていきたいです」。声がかかればどこへでも、正確なタイムで引っ張りたいとまだまだ走力も健在です。

例えば、先日の全日本大学駅伝8区で順天堂大学のアンカーを務め、区間2位と好走した四釜峻佑選手(3年、山形中央)。「よく母校の練習で引っ張っていました。そういった選手が大学でも活躍していると嬉しくなりますし、たくましくなったなと思いますね!」

写真右が齋藤さん、隣は順大・四釜選手。さらに、川内優輝選手とも交流が!

今年で社会人7年目となる齋藤さん。5000mでは学生時代に出した14分04秒がベストで、社会人になってからも14分15秒で走っています。また、マラソンでも2時間17分34秒という記録を持ち、仕事と競技も両立されています。仕事が終わってからだったり、隙間の時間を見つけて、1〜2時間といった限られた時間の中で集中して質の高い練習を心がけています。

今年からクラブチームK-projectに所属。「定期的に練習会にも参加しています。熱いメンバーが揃っているので負けられないですね(笑)」。フルタイムで働きながら競技を続けている仲間の存在が刺激になっています。

「純粋に走るのが好きですね! 生活の一部になっていて、走るのは歯磨きと一緒。走らない日がなんだか物足りないです(笑)」

東京マラソンでは2時間17分34秒の自己ベストをマーク

今後の目標は「マラソンでは2時間13分台。5000mで学生時代に出せなかった13分台を出したいです。5000mで13分台を出したいというのは学生時代からずっと心残りだったので、更新したいです。高校生の引っ張りも続けていきたいですね。高校生のレベルも上がってきているので、負けたくないという思いはあります(笑)」とさらなる高みを目指しています。

天童市の魅力を発信し、好きな陸上競技にも打ち込む齋藤さんの挑戦は続きます(右が齋藤さん)

「天童市は将棋、ラフランス、日本酒、ワインなどが有名ですが、紅葉も綺麗ですし、良い温泉もたくさんあります。コロナ禍が落ち着いたらぜひゆっくり温泉に浸かって、天童市を観光していただきたいですね!」

学生時代は目指していた舞台に届かず悔しさを味わった齋藤さんですが、山形から天童から陸上を盛り上げ、後輩の育成からご自身の競技力まで現状打破し続けています!

M高史の陸上まるかじり

in Additionあわせて読みたい