道のりは平坦でなくても…… 選手たちの言葉で振り返る、4years.の2022年
4years.では2022年も、スポーツの現場で頑張る多くの学生の皆さんのストーリーに寄り添ってきました。けがなどで不本意な時期を過ごしながらも復活した選手、大学スポーツの魅力を少しでも多くの人に伝えたいと立ち上がった元主将。そしてかつて大学スポーツ界をわかせたOBの方からも、現役の学生アスリートに向けた応援メッセージをもらいました。この記事では特に印象に残った記事の言葉を、月別に紹介します。学生が自ら主体的に行動し、盛り上がるスポーツ界になることをめざして。2023年も、よろしくお願いします!
【1月】京大ベースボールに込めた情熱
「上級生から下級生まで、全員が自分ごととして考えられる目標にしたいなと思ったんです。まだ試合に絡めていない1年生も、恒常的にチームを強くするために何が必要なのかを考えて行動してほしいなと」
「選手の露出が増えたことで、個人として注目してもらえている自覚とか、見られているという意識が出てきたかな。そこから選手の行動とか自覚とか考え方は変わるでしょうし、キャプテンとして変えなければいけないと思ってやってきました」 京大野球部元主将・脇悠大が学生記者団「京大ベースボール」に込めた情熱
【2月】1年後、後輩たちがリベンジ
「みんな、崩れ落ちるぐらい泣いていて。その姿を見たら、本当に一生懸命、全員が本気で戦ってくれていたんだ、と思ったし、だからこそ余計に勝ちたかった。勝たせてあげたかった、と思ったらもう止まらなくて。一瞬で、いろんなことを思い出しました」
「正直、今でも完全に吹っ切ることができたか、と言えばできていない。今でも悔しいし、ダメージもデカいです。でも、だからこそ同じ思いをしないためにも、次のチームは能力が高い選手も揃(そろ)っているから、更に個の力を高めて、考える力や熱さ、全部を結集すれば絶対どこにも負けないチームになれる。みんなの思いがぶつかり合って、燃えるようなチームを作ってほしいです」 筑波大・阿部大樹主将、消化できない悔しさ チームを勝たせられる選手になりたい
2021年のインカレは準決勝で敗れた筑波大学。1年後、チームはエース垂水優芽(4年、洛南)を中心に栄冠をつかみました。
【3月】卒業シーズン、三原舞依さんの寄稿
今できることの精度を上げてより良いものに磨き続けることを大前提として、今の時点で足りていない、かつ強化したいところであるお客様を引き込む多様な表現力やジャンプ時の瞬発力、さらに高難度ジャンプに耐えうる筋力、体力も少しずつ身につけていけるように、これからトレーニングをしていきたいです。
アスリートの中でも「トップ」がつくアスリートになるためには、人よりも倍以上の積み重ねが大切で、大きな目標のためにはまず目の前の小さな目標を一つずつクリアしていくことを大切に、自分に厳しく、”今この時”を何より楽しんで、感謝の思いと幸せを感じながら生きていきたいと思います。甲南大学・三原舞依、涙の全日本を超えて 感謝と幸せを胸に新シーズンへ
今年12月の全日本フィギュアスケート選手権で総合2位、世界選手権代表の座もつかみました。甲南大学を卒業するタイミングで、当時の思いを寄せてくれました。
【4月】箱根駅伝での雪辱と「三冠」狙う新主将
「一生懸命、襷をつなげてくれるという姿勢を見て、なんか一気に吹っ切れたというか。自分も失敗して、『鈴木が走れなかったから、駒澤は順位が落ちた』と思われたくなかった。自分がしっかり走ることでそういうのもなくなるかなと思って頑張った」
「強い新入生が入って来ますし、メンバーを見ると、最近の駒澤の中では強いチームかなと思う。『今年は自分たちも青学と互角に戦えるんだぞ』というのをみんなに言って、箱根で圧倒的に負けた差で、もう勝てないと思ってほしくない。少しでも自分がそういう声かけをすることでみんな、リベンジに燃えてほしいなと思っています」駒澤大学新主将・山野力「打倒・青学」で大学駅伝三冠を、田澤廉とともに結果を出す
今シーズンの出雲駅伝、全日本大学駅伝を制した駒澤大学。田澤廉(4年、青森山田)から主将を受け継がれた山野力(4年、宇部鴻城)は、今回の箱根駅伝も9区でエントリーされています。
【5月】浦和学院→1浪→慶應義塾大でレギュラーに
「自分が今後、活躍することによって、高校生の選択肢の幅が広がると思うんです。野球にかけて高校3年間を過ごすことは、きっと色んなリスクがある。中学生の段階では、それがわからない。そういう中学生や高校生とっての一つのモデルケースに、自分がなれたらいいなと思っています。だから、浪人して野球が遅れたということも、言い訳にしたくないですし、活躍した姿を届ける必要があるかなと思っています」慶應義塾大・山本晃大 浦和学院から浪人を経た長距離打者の能力が、ついに開花
【6月】引きこもっていた冬休み、両親からのプレゼント
「冬休み中、ずっと家で引きこもっている私を見て、両親がナイジェリアに連れて行ってくれたんです」
「私の悩みってすごく小さい」
「私っていつも困った顔でバスケをしてたな」
「ナイジェリアから帰る時には『私って最高!』って感じでした」オコエ桃仁花 胸に刻んだ2つの使命、オールラウンドな攻撃を磨いて世界に挑む
【7月】どん底から救ってくれた選手たちの言葉
「『まりんのスケートをもっと見ていたい』『やめないでほしい』『まりんのスケートが本当に好き』と。そういった言葉を現役選手からかけていただけるというのが、そのころの自分にとても響きました。『あ、そうなんだ』とやっと気づけました。1番底まで落ちていた気持ちを取り戻せたきっかけでもありました」「スケートから離れたい」どん底から戻ってきた20歳の現在地 明大・本田真凜(上)
【8月】思っていた以上のことが起きた
持丸監督「おめえよぉ、こんなにいい舞台用意してるんだから、最後お前決めてこいよ」
吉岡「監督さん、もう勝ちです」
持丸監督「勝ち? そんなんお前が打たないと分からねぇだろ」
吉岡「絶対打つんで」
持丸監督「じゃあ、信じてるぞ」
吉岡「犠牲フライでおいしいところを持っていきます」劇的サヨナラ本塁打の直前、持丸監督と交わしたやり取り 神奈川大・吉岡道泰(下)
劇的な幕切れから1年以上が経っても、吉岡道泰(1年、専大松戸)は熱く振り返りました。現在は神奈川大学で野球を続け、将来は高校野球の指導者をめざしています。
【9月】インカレ最後のレース、走れなくても
「自分が走ることで恩返しをしたいと思っていたけど、選手紹介での『AIKO』を見て、そんな風に自分のことを思って走ってくれたことがうれしかったです」立命館大・壹岐あいこ「やり切った」 集大成の日本インカレラストレースはけがで欠場
日本インカレで左足を痛め、4×100mリレー決勝で走れなかった立命館大学の壹岐あいこ(4年、京都橘)。レース前の選手紹介で出走する選手の名前が一人ひとり呼ばれると、立命館大の4人たちは指で「AIKO」を作りました。
【10月】支えてもらっている景色を見ることができた
「グラウンド外での機会をもらったことで、当たり前にラグビーができることのありがたさ、多くの人に支えてもらっている景色を見ることができたのは、選手の中では僕だけだと思うし、財産になりました。『当たり前って当たり前じゃないな』と、見える景色が変わりました。それに尽きますね」早稲田大・小西泰聖 629日ぶりの復帰戦、「支えてもらう景色を見たのは僕だけ」
【11月】代表での経験をチームに還元
「私、意外と臆病で、普段だったら『このまま負けるのかな』とか、余計なことを考えてしまうタイプなんです。でもあの時は全くそういう気持ちがなくて、ものすごく集中してプレーができた。誰が決めた、どういう展開だったと細かく思い出すことはできないけれど、自分のプレー、1本1本のスパイクはハッキリ覚えています。あんな感覚は初めてでした」
「オランダ(の世界選手権)で戦った、代表メンバーのことが頭に浮かんできたんです。大学と代表、場所は違うけれど、頭の中ではすごく重なって、強気で打つことができました」東海大・宮部愛芽世 代表で感じたもどかしさ、インカレは「強さ」をぶつける場に
東海大学のエース宮部愛芽世(あめぜ、3年、金蘭会)は、日本代表メンバーに最年少で選ばれました。代表の舞台でピークをぶつけるのではなく、成長の場として使っていいのかというもどかしさを当時は感じていました。これらの経験は、自身のバレーボール人生の確かな糧となり、チームは今季、春秋のリーグ戦、東日本インカレ、日本インカレの「四冠」を達成しました。
【12月】「三銃士」に食らいついた「雑草」
「最後まであきらめず、やり抜く。自分の中で集大成なので、やってきたことをすべて出す試合にしたい。その中で、親だったり先輩だったり同期だったり、僕を支えてくれたたくさんの人への感謝も表現できたらなと思います」関西学院大WR林篤志 「三銃士」に食らいついた「雑草」、甲子園ボウルで咲くか
スタッフ転向の打診に「半年間、時間をください。3年の春には結果を出します」と返事をした関西学院大学WRの林篤志(4年、阪南大高)。選手として残された意味を自分に問いかけながら、同期のレシーバー3人に食らいつき、この秋公式戦初キャッチで初TDを決めました。