相撲

どすこい早大相撲部、エース橋本はプロも視野

全日本選手権に2年連続で出場した早大の橋本

創部101年目の早大相撲部が活気づいている。大黒柱はスポーツ科学部3年の主将、橋本侑京(ゆきひろ、足立新田)だ。

ベスト16ならず

東京・国技館で12月2日にあった全日本選手権。その年に活躍した高校、大学、社会人が出場するアマチュア最高峰の大会で、身長178cm、体重125kgの橋本は約70人による予選(3回戦制)を2勝1敗で初めて突破。40人で争う決勝トーナメントの1回戦を突破したが、16強入りをかけた2回戦で社会人選手に敗れた。

昨年は、早大選手として9年ぶりの選手権出場を果たした。「去年は正直、出られただけで満足でした。今年は上位を狙ってたんですけど、自分の相撲は取れたので、悔いは残ってないです」と橋本。負けた決勝トーナメントの2回戦は、内容では勝っていた。終始攻め続け、土俵際のきわどい判定には、複数の審判による「物言い」がついた。

アメフトやめ、土俵に専念

創部100年の節目だった昨年は、早大相撲部にとって転機となった。東日本学生リーグで9年ぶりに1部復帰。決め手となった6月の東日本学生選手権団体戦で8強入りに導いたのが、エースの橋本だ。早大選手として初めて、全国学生個人体重別選手権の135kg未満級を制覇した。

東京都足立区出身。小1で相撲を始めた。その後、地元の道場で、有名な指導者である満留久摩(みつどめ・きゅうま)氏に出会った。満留氏が教諭をしていた都立足立新田高に進むと、中学時代に相撲と平行して取り組んだアメフトはやめ、土俵に専念。3年の時、国体の東京都代表として団体戦で3位に入った。大相撲へ大勢を送り込んでいる強豪大での稽古にも参加したが、選んだのは当時リーグ2部だった早大だった。

「いくつか大学の稽古を見て、早稲田は、なんて言うか、アツくない。上下関係もなさそうでサークルの延長っていうイメージだったんです。僕は楽しくいきたいな、と思って。それに、小学生のころから仲がよかった2学年上の先輩が、足立新田から早稲田に行ってましたし」。そう言った後、苦笑した。「本当は、強豪でやっていく自信がなかったんです。プロなんて一切考えてなかった。無理だ、と。とりあえず4年間、勉強しながら相撲に携われればいいなって。将来はまあ、指導者とか」。ただ、実績を重ねつつあるいま、大相撲への道が頭をよぎるようになった。「大学最後の来年、いまより結果を残せて戦える自信がついたら、プロに行きたいと思うかもしれない。思わないかもしれないけど」

早大出身力士は過去3人

当面の目標は早稲田を強くすること。1919(大正8)年に始まった全国学生相撲選手権大会(インカレ)の団体戦で、早大は5度目の優勝を果たした1960年を最後にタイトルに手が届かない。橋本の入学前に部員2、3人まで落ち込んだ相撲部員は現在6人。選手を集めた100周年の昨年より4人少ない今年は、Aクラス12校で争った予選で10位に終わった。

「(昨年の)4年生が抜けて早稲田は終わった、なんて言われたくない。部としてインカレ団体で上位入賞がしたいんです。僕が引っ張らないといけない」

その先に、プロはあるだろうか。全日本選手権で8強以上に進んだ選手には1年間、大相撲で三段目以上から入門できる特権が与えられる。早大出身の力士は過去3人いて、2012年夏場所、尾車部屋の皇風(きみかぜ)が元関脇笠置山(かさぎやま)以来、77年ぶりの幕内力士になっている。

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